SP-THE DESTINY-

**EPISODE IV-2**




 配属されたばかりの頃は赤崎に『疫病神』と言われ、椿には怯えられ、堀田にさえ疑惑のまなざしで見られていたが、世良は今では完全に四係に溶け込んでいる。
「てめぇ、また経費申請の書き方間違ってんだよ。そこ座れ。全部書き直しだ、コラ。それからこっちの領収書はだめだ。受けとらねえぞ」
 庶務担当をしている黒田だけは、日頃堺に迷惑をかけている中心人物が世良だということを認識したらしく、常に当たりが厳しい。
「クロさん、今月俺、厳しいんで……頼みますよ。だってそれ、爆発物処理すんのに車の下潜ったせいで汚れたスーツのクリーニング代っスよ? 職務遂行の時に汚したんだから、経費で落とすのってダメっスか?」
「ざけんな、コラ」
 思い切り眉間に拳を当てられて梅干し制裁を食らう。他の連中が笑ってそれを見ていた。
「てか、椿。てめぇもだよ。世良より間違いが一枚少ないだけだ、コンチクショウ。いい加減書類の書き方くらい覚えろ」
 黒田に経費申請の束を突っ返されて、椿がぎょっとしたようにうなった。
 デスクに並んで座らされると「お前ら、堺さんの下についてんのにどうしてこうも使えねえんだよ」と説教を食らう。
 横では赤崎と堀田が新規開拓した焼き肉屋の話をしていた。
「世良、椿、そのミッションクリアしたら焼き肉食いに行くか? クロも一緒にどうだ?」
 堀田の声に書類の束を前にしていた三人が同時に「行くっス!」といい返事をする。
「あ……堺さん、ダメ……っスかね?」
 午後からずっと後藤と会議室にこもっている堺は、いつ戻るのかもわからない。
 世良の意見に堀田はため息をついた。
「どうだろうなあ。もう会議室入ってずいぶん経つから、そろそろ出てきてもいいんだけどな」
「どうせ、世良さんたちの書類書き時間かかるだろうし、もう少し待てばいいんじゃないスか?」
 赤崎の意見にみんなうなずいた。
 堺はチームの連中からひどく慕われている。世良としては二人きりで過ごす時間も大事だが、チームのメンバーといる時の堺を見ているのも好きだった。
 いつも張りつめて、遠いところを見ているような風情のある堺がこのメンバーといる時だけは職務の最中であっても気持ちを楽にできているようなそんな気がした。
 堺の家族について訊いたことは一度もない。本人もどうやらプライベートについて世良に話すつもりはないのだと思う。むしろ、この前自宅の部屋に招かれたことこそが奇跡だったのだろう。
(悔しい気もするけど、でも堺さんが楽しいならいい)
 みんなで一緒にご飯を食べて酒を飲んでいる時、堺の瞳にはいつも湛えている影がなくなる。そんな堺は本当に稀で、世良は後は他にセックスで達した直後にしかその瞬間が訪れているところを知らない。
 できればこのメンバーでずっとやっていきたいと思う。
 もちろんそれが、ただの幻想でしかないことくらい、わかっている。
 それでも、と思ってしまう。
 堺にとっての安らぎの場所であるというだけではない。幼い頃に両親を殺された世良にとっても今や四係は、ようやく見つけた自分の居場所のような気がしていた。
 黒田の合格のサインが出るだけの書類を世良と椿が書き終え、やはり戻ってこない堺を諦めて「じゃあそろそろ行くか」と全員が立ち上がりかけた時、世良の携帯がメールの着信を告げた。
 液晶に無愛想なテキストが並んでいる。短い文章は、だが、世良を頂点に押し上げる。
「……俺、デート入ったんで」言いながら荷物を掴むと「お先っス!」と後も見ずに駆け出す。
 ちょうど来ていたエレベーターに飛び乗った。
 メールは堺からのものだった。警護会議が終わった流れでそのまま外に出ていたらしい。
「もう自宅に戻ってきているから、これから来るか?」という誘いのメールだった。
 世良の退庁時間を見越して送られてきたタイミングのメールは、ひどく味気ない文面だ。
 だが、世良はもうその文面から堺が欲するものがわかるようになっている。
(やった……また、家に呼んでもらえた……)
 押さえてもこみあげてくる期待感に、少し自分を恥じた。
(別にエッチだけがしたいわけじゃないって、本当にそう思ってるんだけどな……)
 かといって、これから先の未来図をどうやって描いたものかと思案にくれてしまうのも事実だ。堺が世良との関係をどう思っているのかもわからないし、自信もない。
 なんとなくエレベーターでじっと考えこんでいると、十五階でドアが開いた。
 乗り込んできたのは、警視庁で四係の人間以外では世良が唯一知り合いと言っていい公安の石神だった。
「……っス」
 あいさつしたが返事をする気がないらしい。親しい間柄の男がむすっとして立っている。どうにも間がもたなくて、世良は耐えられずに口を開く。
「なんか、機嫌悪いっスね。またどっか潜ってんスか?」
「うるせえよ」
 短い言葉で拒絶されて、世良は思わず黙り込んだ。
 エレベーターがいやな雰囲気の二人を乗せて一階につく。石神は先に立って降りる間際、世良をひどく気の毒そうな目で見た。
「……お前、気をつけろよ? いろいろと」
「……」
 世良は思わず立ち止まる。
 石神はそれ以上何も言わずに夜の街に消えていった。



「ああ、来たか。入れ」
 缶ビールの六本入りパックを携えて家を訪ねると、堺が待ちかねたように迎えてくれた。
「あれ、堺さん料理とかするんスか?」
 テーブルに二人分の食事が並んでいる。大量の焼き鳥にサラダに、チーズ。それから大皿の煮物。今までになかった待遇に世良は目を見張った。
「するわけないだろ? 買ってきたんだよ。どうせ世良のことだから、ビールは買ってくると思ってたからな。そっち系のものばっかりだが」
「そっスよね……けど、なんか嬉しいっス!」
 世良は笑顔でビールのパックを持ち上げて見せた。堺はうなずく。
 どちらからともなく顔を寄せあって、キスをした。
「へへ……なんかラブラブっぽくないっスか?」
「……食うぞ。ジャケットはそこにかけておけ」
 二人でゆっくりとビールを空けた。しんとした部屋の中、コンポはあるが音はない。
 二人でゆっくりと話をした。
 実は堀田には新しい恋人ができたようだとか、黒田の経費管理が厳しすぎるとか、訓練学校の笠井教官がどれほど鬼だったとか。
 他愛のない話ばかりだ。
 だが、この時間が世良には愛しいと思える。
「ホントは今日、みんなで焼き肉行こうって話が出てて。堺さんも誘おうって言ってたんス」
「そうか」
 その話になると、わずか堺の目が和む。
 四係の連中は誰もが堺が手塩にかけて育てた自慢のチームなのだと言っているらしい。部下にはそのことをおくびにも出さないが、以前廊下でばったりと会った丹波が苦笑しながらそう言っていた。
 初対面でかなり態度が悪いところを見せている割に、時々丹波は思いだしたように世良に絡んでくる。食えない男だ、と思う一方で時折どうしようもなく冷たい空気を感じることもある。
 実は堺の同期だという丹波という人間が世良には今もってつかみきれない。
 世良は、今頃世良と堺抜きで焼き肉を焼いているに違いない面子のことを思い出しながら、苦笑する。
「みんな、係長のこと……堺さんのことが好きなのに、俺が独占しちゃっててなんか悪いなって……」
「今日はいいだろ? 俺は世良と話がしたかったんだ」
「……?」
 含みのある物言いが気になって顔をあげる。堺は何も言わない。
「今日、午後ずっと会議でしたよね? 何かあったんスか?」
 ふと、先ほどエレベーターで一緒になった石神のことを思い出す。
「もしかして、明日からの配置のことっスか?」
 堺はソファから立ち上がった。
「世良、今日は泊まっていけ」
 そうしてふらりとシャワールームに消えていく。世良は一人その場に取り残された。
 しばらくじっとして、それから立ち上がるとシャワールームに向かった。
 擦りガラスの扉の向こうにシャワーを浴びる堺の裸身がある。了解も取らずにいきなり扉を開けた。
「……世良」
 堺はさして驚いた様子もなく、世良を見つめる。
 世良はゆっくりと手を伸ばした。出しっぱなしのシャワーの湯にシャツの袖口が濡れる。気にせず、堺の頬に手をふれる。
 それから抱きしめて、今日二度目のキスをした。
 堺の方が身長は高い。だから立ったままのキスでは少し背をかがめるようにする。
 開いた唇の隙間に舌を割り込ませて吸いあう。頭上からシャワーの湯が落ちてくる。
「濡れてるぞ?」
「もう、遅いっス……」
 堺の手が、シャワーの湯を吸ってずぶずぶになった世良のネクタイをはずし、シャツのボタンをはずしていく。
 キスは続いていた。シャワーを止めたのはどちらの手だったのか、浴室の床に濡れたシャツとスラックスを下着と一緒に脱ぎ捨てる。
 早く繋がりたくて、その場にあったボディソープを使う。勃ちあがったそこに塗りこめ、バスタブの縁に堺を捕まらせ、そのまま後ろから突いた。
「ん……あ……っ!」
 首をのけぞらせるようにして、いきなり熱をねじこまれた衝撃に堺は耐えているようだった。
 ろくな前技を施さなかったのにも関わらず、世良を受け入れることにすっかり馴染んでいる堺のそこは今ねじ込まれた熱の持ち主を覚えているらしい。
 最初こそ拒むようにかたくなだったのに、徐々に世良を引き込むように蠕動を始める。
 浴室は肌をぶつけあう音がよく響く。シャワーソープの甘い香りにむせ返りそうだった。注挿の繰り返しで泡立つそこから、卑猥な音が響く。
「ん、ん、んぅ……っ!」
 セックスの時、堺はあまり声をあげない。喘ぐ声は息が多くて、絶え入るような刹那な感じがある。
 それはぞくりとするような色を世良に覚えさせた。
 のしかかるようにして深くまで挿し入れると、少し紅くなった耳たぶをかじる。途端、内側がぐっと締め付けてくる。
「ここじゃ、痛いっスよね? ベッド、行きたいけどシーツ濡れちゃうし……」
 言いながら、腰を揺らす。また堺がうめいた。
「いい……」
「何がっスか?」
「シーツもベッドも、濡れてもいい……」
「そっスね……ここじゃ、あんまり動けない」
「ああ……そうだな……」
 警視庁で誰もが一目を置く堺がセックスの時にこんな風になるなんて反則だと世良は思う。

 それを知っているのは自分だけでいいと、心から思う。

 ベッドに行ってからは、多少落ち着きを取り戻せたらしい。世良はゆっくりと堺を穿つ。そうして世良は時間をかけて堺の肌を貪った。



 結局、夕べは堺から何も聞き出すことはできなかった。
 世良は自分のデスクに突っ伏したままでいた。チームのメンバーがこそこそと「どうやらあれはフられたな」「俺たちの誘いを断るから罰が当たったんですよ」「っス」と噂しているのが聞こえる。
(ちっげーよ。夕べはラブラブだったんだよ。俺と堺さんが夕べ何回ヤッたか知ったら驚くぞ、絶対)
 いつもなら「明日の警護に差し支える」と二度、三度の交渉には難色を示すくせに、夕べの堺は断らなかった。
 むしろ、積極的に世良を受け入れ腰を振り、珍しく喘いでみせた。
(あれはさー、あの人がなんか傷ついたか、じゃなきゃ俺に後ろめたいことがあるか……どっちか、だと思うんだよなあ……多分)
 わかっていて問いつめられないのは自分が甘いのだろうかと世良は思う。
(けどさー、なんか訊ける空気じゃないんだよなあ。あの人)
 身体は許してくれている。おそらくだが、過去はともかくとして自分以外には今、堺の肌を知る者はいないはずだ。
(だからやっぱり、ちゃんと俺から堺さんに「好きだ」って言うところから始めなきゃいけないんじゃないのか?)
 結局最後はそこに行き着く。ため息をついた。
「……?」
 ふと肩をたたかれる。堀田だった。真顔で耳元にささやいてくる。
「世良、この仕事はなかなか恋人に理解されずらい職務なんだ。なんだったら相談に乗るぞ?」
「……いえ、いいっス」
 そういえば、堀田はある日突然同棲していた恋人が家出をしたという悲しい過去があったんだよな、と世良は思いだした。
 即座に断った世良に堀田は怪訝そうな顔をすると「そうか、じゃあ相談する気になったら遠慮なく言えよ」と親指をぐっと立ててみせる。
(いやあ……SPの職務については日本一、というか自分自身より理解ある人なんで……)
 世良は苦笑しつつ同じサインをし返す。
 今日は世良と堀田で女性の社会参加についてのデモの警護、赤崎と椿は次期経団連会長就任が噂されている某大手企業の社長のテレビ取材時の警護だった。SPがつくということはつまりそれはしばらく後に真実となると言うことだ。
 そうして、昼間の任務を終えて全員が四時過ぎには警視庁に戻ってきている。
 堺からはそのまま待機しているよう指示が出ていた。明日の配置の命令が出るのだと、誰もが理解している。
「みんな、集まれ」
 堺が書類を手にしながら部屋に戻ってくる。そうしてデスク前に集合した一人一人に警護計画署のコピーを手渡した。

「明日、我々は大江戸大学記念館の落成記念セレモニーで警護につく。マルタイは……浅倉秀和首相だ」

 その名前を聞いた瞬間、世良の手が止まった。
「……」
 ゆっくりと首を巡らせて堺を見る。ちらりと気遣わしげな視線が返った。
「首相専任警護の一係の応援という形になる。現場は資料の三ページ目にある通り、記念館のアトリウム部分で行われる。人の出入りが多い現場だ。警護計画書を精読し、一同気を引き締めて万全の体制で警護にあたれ」
 全員が短く「はい」と応える。
(浅倉……)
 世良はなんとか自席についたものの、呆然としてうまく頭が回らない。
 たちまちの内にあの暗い日曜日が心の中に浮かび上がる。
 雨。大雨。悲鳴。さっきまで笑っていた母と父が次々に血をたくさん流して倒れて動かなくなった。
 あの時、世良を守るようにしてくれたのは浅倉だ。
 だが、今でもはっきりと覚えている。
 浅倉は、倒れて動かなくなった両親の死体を見て、確かににやりと笑っていた。

(笑って、たんだ……)

 夕べ、堺の様子がおかしかったのはこのせいだったのかと理解した。世良の過去を知っている堺が、夕べ世良の求めるのをすべて受け入れてくれたのはこの警護任務があることを知っていたからだ。

(堺さん……あいつは、あの時笑ってたんです……)

 それがどういうことを意味するのか、世良にはわからない。勘ぐろうと思えばいくらでもいやな想像はできる。
 だからあえてそうしないようにと思って生きてきた。SPになった時、当然いつかはこういう日がくるだろうとも思っていた。
 だがそれが明日になるとは思ってもみなかったのだ。
 退庁時間がくると、四係のメンバーは一斉に「お疲れ」と声をかけあって帰宅していく。こんなに早い時間にみんながそろうことはあまりない。
 普段なら誰かが声をかけて飲みに行くか、という話になるが、さすがに警護計画書を読む限り、明日の任務がハードなものになりそうだということは明白で、誰もが身体を休めることに専念した方がよさそうだと判断したらしい。
 世良も、のろのろと警視庁を出た。
 いつの間にか、足がとある場所に向いていた。夜のとばりが降りてもそこは気の利いたライトアップなどがあるわけではない。人々がただ行き交うだけの場所だ。
 だが、ここは世良にとって特別な場所だった。
 あの日は雨で、昼間だった。
 なのに、この場所はあの日からずっと、真っ暗な印象しかない。
 今はなにもないただの石畳の地面をじっと見つめる。もう遠い過去となった暗い日曜日の昼、そこには両親の死体が雨に打たれて転がっていた。
 たまに、世良は一人でここにくる。
 ただここでじっとしてあの闇に身を沈めることが必要な時がごくたまにあった。
 たとえば、それは今日のような日だ。
 手近なベンチに腰を下ろしてじっとしている。ふと、隣のベンチに同じようにして座ってじっと息を潜めている人がいることに気がついた。
 世良は何気なく視線をやる。視線に気づいたのか、隣にいた男もこちらを見る。
「……」
 どこにでもいそうな男だった。生気のない目をしている。
 だが、何かが引っかかった。
(……どこかで会った?)
 通りすがりの見知らぬ男のはずだ。なのに、どうも引っかかる。どこかで会ったことがある気がして仕方がない。
 胸の奥がざわつく。耳の奥に今は聞こえないはずの雨の音がうるさいくらいに響く。
 隣のベンチの男はポケットに手を突っ込んで、中に入っている何事かを握りしめたようだった。だが、すぐに空手でポケットから出すと、なにも言わずに立ち上がり雑踏に消えていく。
 世良はその背中を見送った。
 耳の奥に空耳の雨の音が響く。

「……っ!」

 唐突に、遠い記憶の中のビジョンが明確になる。パーカーのフードを深くかぶっていた。在京の弱小サッカーチームのタオルマフラーを首に巻き、スカルのTシャツを着ていた。
 取り押さえられて、雨の地面に顔を押しつけられながら、たった今殺した二人の死体をうつろに見ていた。そうして、雨の中なにが起きたかもわからずにいた世良を見た。
 あの瞳の奥のぽっかりと空いた黒い暗い闇。
 世良はベンチから立ち上がると、あわてて男の消えた方に走る。
「あれは……!」
 間違いない。たった今隣のベンチに腰掛けていたのは、羽田……世良の両親を殺したその男だった。
 まさか出所してきていたとは知らなかった。
 夕べの石神の顔が思い浮かぶ。そして堺の顔も。
 どちらもなにを世良に隠していたのかはわからない、だが、これは果たして偶然なのだろうか。
 羽田の姿は、闇の中に消えてもう世良には探し出せなかった。

 そして、同じ頃。
 堺の元に石神が現れて、羽田の出所と出所後行方不明になった件を告げていたことを世良は知らない。
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