SP-THE DESTINY-
**EPISODE III-4**
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もちろんルームサービスなど頼んだわけもない。一斉に緊張が走る。
「世良……」
堺に促されて魚眼レンズを覗く。奥では全員が固唾をのんで見守っている。
「すみませーん。お届けものです」
のんびりとした声が、ドアの向こうから響く。見た目は単なる宅配業者の制服を着た男だ。
世良は背後を振り返る。すぐそばに堺がいた。目を見合わせると、小さくうなずく。
対応を任せる、という合図だ。
世良は息を整える。そうして、ドアチェーンをかけたままの状態で扉を細く開けた。
「すみません、夏木さんですかあ?」
「いえ、違います」
立っていたのはふつうの男だ。殺気もなければ威圧感のようなものもない。手には少し大きめの箱を抱えている。茶紙に包まれて、中の荷物が何かは表からではわからない。
世良の応答に、宅配便の男は困ったような顔をする。
「こちらのお部屋に、夏木陽太郎さんいらっしゃいますよね?」
「……いえ」
「困ったなあ……こちらのホテルのこの部屋番号で荷物をお預かりしているんですが。夏木さん宛の」
宅配業者の男が手に抱えた箱はずっしりとした量感がある。その箱の角がわずかに油染みになっているのを、世良の目が捕らえた。
火薬のシミ、のように見える。
「堺さん……」
振り返って名を呼ぶと、近寄ってきた堺が世良越しに外で男が手にしているものを確認する。どうやら同じ判断をしたらしい。
堺はすぐに振り返って、部屋の中にいた堀田たちに声をかけた。
「緊急避難だ。堀田、赤崎、椿はマルタイを連れて車両でここから移動しろ」
たちまち堀田、赤崎、椿が夏木を囲むようにして物陰に姿を隠す。
堺はそれからドアチェーンを外すと、一人分の隙間を開けて廊下に滑り出る。警察手帳を業者に見せると「少し、あちらでお話を伺いたいのですが」とさりげなく部屋から荷物ごと男を遠ざけた。
世良はその後を追うようにして外に出ると、廊下に他に怪しい人間がいないかどうかを確認する。
背後で、堀田たちが夏木を連れて目の前の非常階段に逃れる気配がした。
あらかじめ何度も確認してある緊急避難ルートだ。
階段でこの三階から一気に地下駐車場まで降りる。
「……っ!」
突然、いつになく強いめまいが世良を襲う。
強烈な幻覚が身体を支配した。
イメージだ。
堀田たちが夏木をかばいながら非常階段を駆け降りている。地下駐車場の入り口を開け、用意してある緊急避難用のバンにたどり着く。中は相変わらず排ガスの臭いで満ちている。
運転席に堀田、後部座席に赤崎が夏木をかばうようにして乗り込む。外で拳銃を携えて警戒していた椿がそのタイミングで乗り込んだ。
(危ない……)
世良の心が震える。キーを回す堀田の無骨な手が見えた。
(だめだ、堀田さん……!)
世良は思わず叫ぶ。だが。
キーを回した瞬間だった。
熱。炎。爆風。
堀田がエンジンをかけた瞬間、バンに仕掛けられていた爆弾に引火した。一瞬にして中の爆薬に火が回り、一気に圧倒的な炎が吹きあがる。火薬は熱と爆風と炎になって、中にいた人間もろとも熱風と炎がバンを吹っ飛ばす。
「……っ!」
我に返る。あまりにもリアルな、それは惨劇の映像だった。
世良は振り返ると猛然と駆けだした。非常階段を転がるように駆け降りながら、何度もシーバーから「堀田さん! 応答願います! 堀田さん!」と呼びかける。
だが、応答はない。
胃のそこがぎゅっと締め付けられるような感覚。堺チームのメンバーは、もう世良にとっては単なる同僚ではなかった。
親しい友人であり、家族でもある。他に代えられるような人間ではない。
何度も修羅場を一緒にくぐり抜け、命をかけて任務を遂行してきた。警察内部で何かと煙たがられている堺を信じて、ついていくことを決めている仲間だ。
「堀田さんっ!」
叫びながら、地下駐車場に躍り出る。ちょうど、みんながバンに乗り込むのを見た。
(間に合えっ!)
走りながら特殊警棒を取り出すと、思い切りバンの窓に向かって投げつける。過たず、警棒が窓ガラスを叩いた。
車の中で堀田がびくりと反応するのを確認してほっとする。まだエンジンキーを回してはいない。
世良は一気に車の前に躍り出る。
「だめっス! エンジンかけたらだめっス! 堀田さん!」
世良の尋常ではない様子に堀田が運転席で目を丸くしていた。世良は運転席側に回り込むと、大声で叫ぶ。
「早く、降りて! 降りてください! いいから早く!」
堀田ははっとした様子で全員に声をかけた。既に車内に乗り込んでいた全員があわてて車から降りる。
「できるだけ遠くに。早く!」
世良の必死の形相に「わかった」とうなずくと堀田は全員を連れて駐車場の出入り口から外に逃れていく。
世良は息をつくと、車を調べる。自分の中に吹き荒れたイメージ通りなら車の底にそれは張り付いているはずだった。
常に携帯している小型のライトで車の下を照らしてみれば、果たして車の底に金属の筒状の何かが仕掛けられているのが見えた。あわてて車の下に入り込むと、金属筒から配線がガソリンタンクに向かって延びているのが確認できる。
これが何を意味しているのかは考えるまでもないことだ。
あのイメージ通り、もしも堀田がエンジンをかけていたら、と思うとぞっとした。
(……とにかく、これ、どうにかしなきゃ)
間違っても爆発しないように車と直接繋がっている配線だけはカットしなくてはいけない。
(爆発物の処理なんて、やったことねえっての)
世良が訓練学校で習ったのは、爆発物が確認されたらマルタイをその場から速やかに待避させるかあるいは盾となって爆風から守るようにということだけだ。
「世良、応答しろ」
堺の声がシーバーから聞こえる。
(あー。ホントに、堺さん。ごめんなさい、今ちょっとムリ……)
「世良、どうした? 応答しろ」
声に焦りがにじむのがわかった。
小さなライトを口にくわえて両手を空ける。目の前にはおそらく車ごと人間を吹っ飛ばせる規模の爆弾がある。
じわりと背中に汗がにじんだ。
「……っ!」
突然、駐車場のドアが開いた。誰かがこちらにやってくる気配がする。人数は二人。もしかしたらテロリストたちが首尾を確認しにきたのかもしれない、と思った。
シーバーから聞こえる堺の声に焦りの分量がますます増えてくる。
「世良? 世良!」
(俺、ホントに堺さん……)
赤いコードが延びている。爆弾処理など経験はない。いかにもこのコードが要なのだという感じはするが、もしかしたらカットした瞬間に爆発してしまうかもしれない。
足音がこちらに近づいてくる。時間はない。
背中は汗でびっしょりだ。
(このまま、逃げた方がいいんスかね? 俺、よけいなことしようとしてないっスか?)
だが、もしも放置して爆発物処理班を呼んで、到着までの間に何かあったら? 一般人がそれに巻き込まれてしまったら?
なかなか爆発しないことにじれたテロリストが今すぐ遠隔でこれを爆破させないとも限らない。
今そこに聞こえている二人分の足音の主がテロリストかもしれない。
頭の中にあの暗い日曜日の光景が浮かんだ。
(やっぱ、どうにかしなきゃっスよね?)
「世良? 世良!」
堺の声が聞こえる。世良は息をついた。
(堺さん、俺、あなたを愛してますよ……)
思い切って赤いコードをカットする。そのまま車の下から滑り出た。バンは静かなままだ。
足音の主はぎょっとしたようにいきなり車の下から滑り出てきた世良を見ている。どうやらさっき見かけた出入りのランドリー業者のようだ。
「世良! 大丈夫か?」
イヤホンから響く悲鳴のような声に、世良はようやく応答する。
「世良っス。間一髪でした。マルタイは堀田さんたちが避難させてます。さっき部屋に届いた荷物の方はたぶん囮だと思います。車の下に爆発物が仕掛けられてるんで。処理班、呼んでください」
世良は息を吐くと、ようやくほっとしてその場に大の字になって寝転がる。
二十分後、地下駐車場内は警察関係者とやじうまでごった返していた。
すぐそばで堀田たちに連絡をとっていた堺が世良の肩を叩く。
「世良……マルタイは無事に別のホテルに入ったそうだ。俺たちも行くぞ」
「あの……車両のチェックを怠りました。すみませんでした」
世良はおずおずと堺に頭を下げる。つい二時間ほど前に避難経路と駐車場のチェックをしたのは世良自身だ。もしかしたら、あの時テロリストがこの場にいたかもしれないと思うと後悔が胸を焼く。
堺は「いや、気にするな」と首を横に振ってくれた。
「車両の徹底チェックを指示しなかった俺のミスだ。判断が甘かった」
「堺さん……」
警視庁きっての切れ者と言われる堺が、部下たちに絶対の信頼を寄せられているのは当然だと、世良は誇らしく思った。
「世良のおかげでマルタイと堀田たちの命が救われた。礼を言う」
普段、それほど言葉の多い人ではないからその分だけ余計にくすぐられる。
ひょっとしたら堺は人たらしの一面もあるのかもしれないと、世良は思った。
ふと思いついて堺に進言する。
「敵がここまでやってくるんだったら、今の警護体制じゃ護りきれないっスね」
爆弾の作りを思い出す。あれは、高度な知識を持った者が作ったものだ。ちらりと漏れ聞こえた話によれば、もし爆発していたらバンはおろか周囲の車も二、三台吹っ飛ぶほどの威力のものだったらしい。
事故に見せかけたり、人知れず、といったやり方ではない。もう、なりふり構わず敵はいよいよ本気で夏木の命を狙ってきている。
堺は苦々しい顔をして「わかっている」と世良にうなずいた。
「わかっているさ……」
暗い地の底を這うような声に、世良は堺の内側にある闇を思う。
(俺は、こういう時何もできないんスか?)
だが、背を向けた堺の心の内側は世良には見えない。一番シンクロしたい相手の心が見えない。
翌日の夜、十七時半を回った頃、堺からチーム全員に連絡が入った。
十八時に夏木の部屋の前に四係は全員集合せよ、という短い伝達だ。
その日、堺は一日警視庁に出向いていて、その連絡はつまり夏木の警護についての新しい体制が決定したということに他ならなかった。
(堺さん……)
元々夜の九時から世良は堺と一緒に警護に就く予定になっていた。携帯に入った指示の声のトーンはいつもと代わりがなかったものの、それでもなんとなく気になった。
時々、堺は世良に対して絶対のブロックをする。
心の内を一片たりとも見せる気はないと世良を拒む。
拒絶の意志が鉄壁となって立ちはだかるような感じだ。そうなってしまうと世良は踏み越えて堺の方にまだいくことができない。
それがもどかしくて、悔しい。
もっとこの人の力になれたらいいのに、といつも思っているのに。それは、いつになったら叶うのだろう。
十八時。
堺チームのSPは四人全員が夏木の部屋の前の廊下に集まっていた。ちょうどの時間に、堺は厳しい表情のまま現れた。
部屋の中には夏木が相変わらずの膠着状態に怯えながらひとり取り残されている。
ちらりとドアに目をやると、堺は部下たちにたんたんと決定事項を告げる。
「本日十八時を持って、今回の警護の任務は終了した。それぞれ、装備を解いて解散しろ」
前日の爆破未遂事件は犯人の目星さえついていない。あれであきらめたとはとても思えない。
まだ、テロリストたちが夏木の命を狙っているのは明白だ。
相手は高精度な爆弾を作成する知識を持ったプロ中のプロであることも判明した。
この時点で警護が終了すると言うことはつまり、事実上夏木の命を見放すと言うことだ。
夏木は悪事に手を染めたものの、決して根っからの悪人ではない。
マルタイに感情移入しすぎるのはいいことではないかもしれないが、世良は鬱陶しくて騒々しい、だが怯えきって自分たちに命を預けざるをえない事態になってしまった夏木を嫌いにはなれない。
夏木のしたことで、何人もの人間が破産、自殺へと追い込まれている。それをわかった上で、やっぱり嫌いにはなれなかった。
全員が言葉もなく立ち尽くす。
数日の間だが、命をかけて護った相手がみすみす殺されるのをわかっていて退かなくてはいけない。
それがやるせない。
堺のチームは部下が上司にものを言いやすい。不服や不満は任務の前にすべて吸い上げて解消するというのが堺のやり方で、こんな時に誰も何も言わないのは不自然でさえあった。
「……」
多分、と世良は思う。。
(堺さんが、一番悔しいんだよな……)
堺の性格を思えば、きっと上と今回もやりあったに違いない。太いパイプがあるらしい丹波にも個人的に働きかけたりもしていたはずだ。
それでも決定は絶対だった。
この決定は多分そういうことで、それがわかるから誰も何も堺に言えない。堺がこの一日でどれほど上とやりあったかがわかりすぎるくらいわかるだけに言えない。
全員が悔しさに唇を噛みしめている。
改めて世良は自分がこのチームの一員であることを誇りに思った。
「……みんなで飲みにでもいけよ」と、堺は夏木に警護終了の決定を本人に報告しに部屋に入る前に堀田のスーツのポケットに紙幣をねじ込んだ。
堺が夏木の部屋に消える。
「……いくぞ」
最初に言ったのは堀田だ。椿は悔しそうで、一瞬その場に立ち尽くしたが、堀田に促されてようやく歩き出す。
世良も重い足取りで一歩ずつ夏木の部屋から離れていった。
背後のドアから夏木の悲鳴が聞こえる。
「俺に死ねって言ってるんスか? 堺さん!」
世良は目を閉じた。隣で赤崎が震えている。悔しくてたまらないのは誰もが同じだ。
「俺が死んだら妻と娘はどうなるんですか?」
夏木が堺にとりすがっているのが見えるようだ。エレベーターがくるのがやけに遅い。
堺が心から血を吹き出しながら、夏木に対応している、その声を聞いていたくはない。
堺も、部下に聞かせたくはないと思っているだろう。
「だったら、なぜ犯罪に手を染めた? 悪に手を染めた時、どうなるかのリスクをなぜ考えなかった!」
SPである前に、自分たちは警察官でもある。世良は堺にはじめて出会った時のことを思い出していた。
(正義を護るため、に警察官になったんでしたよね……あれ、やっぱりホントだったじゃないスか)
待望のエレベーターがくる。世良たちは誰も一言も口をきかず、夏木の元から去った。
警視庁に戻って装備をのろのろと解くと、世良は自販機のコーナーに足を向ける。
ココアに砂糖とミルクをありったけ増量した。手の中のカップに入ったココアの表面がふるふると揺れている。
自分は怒っているのか、と世良は思った。だとしたら何に怒っているのだろうか、と思う。
堺にではない。警察の理不尽に対してか。それともテロリストにか。
それはわからない。だが、ただ震える。
「……」
しばらくすると、椿がふらりとやってきた。世良がいるのをわかっていて、生真面目な椿にしては珍しく、声もかけずに自販機で炭酸を買う。そうして、隣に腰掛けた。
堀田が間をおかずに現れる。堀田はコーヒーを買って空いているいすに座る。ほどなくして姿を見せた赤崎もそれにならった。
全員何も言わず、ただじっと時を過ごしている。
世良の手の中のココアはいつの間にかすっかり冷たくなっていた。
「……」
すっと堀田が立ち上がる。やはり口をつけていない様子のカップをテーブルに残したままその場を出ていく。世良も立ち上がった。背後で赤崎と椿が立ち上がる気配がした。
何も言わずに警護課に戻ると、堺が戻っていた。
床にはシーバーや特殊警棒、手錠などが散乱している。デスクの上で肘をつき、うつむいて、じっと息を潜めている様子は痛々しい。
(堺さん……)
堺の中に渦巻く複雑に入り乱れた心が見てとれる。
堺も夏木のことを最後まで護りたかったのだ。
堀田は黙って室内にはいると、落ちていた堺のシーバーを拾って堺のデスクの上に置く。
続いて赤崎が、そして椿がそれに倣った。
世良は最後に、落ちていた警察手帳を拾い上げると、そっと堺のデスクの上に置く。
誰も何も言わず、それぞれのデスクにつく。
そうしてそのまま、長いことじっとしていた。
ひどく長い夜だった。
たぶん、この夜のことを忘れることはできない。
そうして朝まで全員ずっとそうしていた。