SP-THE DESTINY-
**EPISODE III-3**
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夏木は堺に諭されてからはおとなしくなったものの、やはり精神的に不安定になっているようだった。
堺のことは「怖い」とみなしたようで、堀田たちがいる時にばかり無理難題をふっかけてくる。
一度は逃亡を試みたようで、ホテルを張っていた公安の石神が確保したおかげでことなきを得ている。
世良たちが警護につく夜は概ね、寝室に閉じこもって妻子の写真を見ながら泣いてばかりいる。
警護についた初日、隣の部屋に消えたハイライトの匂いのする中国人のカップルは数日の滞在でチェックアウトしたらしい。
(気のせい、だったのか……)
隣の部屋から常に感じていた感じは、前に都知事の警護の時にも病院テロの時にも感じていたそれと似通っている。
気にしていたのだが、結局何事もなかった。
(また今日もプール行くんだっけ……)
今度も堀田たちに夏木がわがままを言ったらしい。週末のことで、この前よりもさらに遅い時間、九時にプールに行くと言うことで話が決まっていた。
なんとなくイヤな予感がした。
そうして、予感通り夏木がプールのシャワールームで何者かに毒物を盛られたという連絡が堀田から入ったのは世良たちがまさにホテルに向かおうとする直前のことだった。
テロリストたちはやはり、夏木の命を狙っている。
幸い、すぐに堀田たちが気がついて胃洗浄を試みたおかげで命に別状はないらしい。
だが、夏木はひどく怯えて手が着けられない状態になっているらしかった。
とにかく、堺と二人でホテルに急行することになった。
(どこから夏木さんの居場所が漏れたんだ?)
世良の疑問はそこに尽きる。
夏木の滞在は当然だが外に漏れてはおらず、警察内でもトップシークレットになっているはずだ。だが、実際には夏木が警護されている部屋から出るというピンポイントを狙ってテロリストたちが仕掛けてきたことになる。
堀田は何者かが入り込みやすい時間帯をより避けるために夜九時という遅い時間を指定してプールに行かせたのだが、シャワールームががらすきという盲点をつかれて危うく取り返しのつかない失敗をするところだった。
夏木は先にシャワールームにいた何者かが、上の開いた空間から液状の毒物を流し込み、シャワーの湯と一緒にいくらか飲み込んでしまったのだった。
青酸カリほどの強い毒性であれば今頃夏木の命は永遠に失われていたはずだ。助かったのは功名とさえいえる。
(どこから、夏木さんの情報が漏れた?)
疑念が渦巻く。漏れたとすればその出所はもう、警察の上層部のほかにはない。
隣に並ぶ堺の顔を世良は見上げる。
厳しい顔つきのその表情の中からは、どう思っているのかを何も読みとることはできない。
ホテルにつくとエレベーターホールでアジアからの観光客と同じ箱に乗ることになった。
男女のカップルだ。身なりなどに特に不審な感じはない。
(ずいぶん、夜遅いチェックインだな)
最初に思ったのはそこだ。
キャリーに韓国語のガイドが差してあるところを見ると、韓国からの旅行者らしい。最終便で到着したのだろうが、それにしても。
そう思ってさりげなく観察する。男はともかく女の方はなんだか微妙だと思った。首元をスカーフで巻いている。喉元が見えないように隠している……ようにも思える。
(男……にも、見えるな……)
じろじろ見るのもはばかられて、世良はさりげなく一歩奥に下がる。
(……あれ?)
男の身体からたばこの匂いがした。ハイライトだ。
それは、昨日まで滞在していた中国人のカップルの、やはり男の方から香ったのとまるで同じ、長年同じ銘柄を愛飲してきたらしい混じりけのない匂いだった。
世良の身体に緊張が走る。
(こいつら、もしかして……)
堺の背中を見た。エスパーでもない世良にはすぐそばにいる堺に警告を知らせることはできない。
世良たちとは違うフロアのボタンを押しているが、もしかしたら一緒のエレベーターに乗っているのが夏木警護のSPだとわかってのカモフラージュである可能性もある。
こちらの情報はたぶん、テロリストたちには筒抜けだ。
独断で、試してみることにした。
「ハイライトって、韓国でも売ってるんスかね?」
そうはっきりとした声で言う。
中にいた堺と韓国人カップルが一斉に世良に振り返る。世良はにやりと二人に笑った。
「あれ? 日本語わかるんスね?」
一瞬の間が空く。
次の瞬間、狭いエレベーターの中で男がいきなり世良に襲いかかってきた。女の方は躊躇なく堺にナイフを繰り出している。
(やっぱり、こいつら……!)
エレベーターの中で格闘がはじまった。どちらかが蹴りを決めれば、片方が殴る。ナイフをたたき落とすと、今度はそのナイフの支配権を巡って攻防が繰り返される。
一度開いたドアの向こうでこれは間違いなくアングロサクソン系の外国人カップルが驚いた顔をしてやりすごす。
定員にはまだ余裕があったが、さすがに格闘場と化しているエレベーターに乗る気にはなれないらしい。賢明だ。
やがて韓国人を装ったテロリストが、おそらくは世良たちの姿に反応してカモフラージュでリクエストしていた階で停まった。
エレベーターのドアが開く。
誰も待っている者はいない。
それを見計らって、堺は落ちていたナイフを外に向かって蹴りだした。世良と堺はテロリストたちを引きずるようにしてフロアに降りる。
ようやく自由に動ける場を得れば、正直体術で負けることはない。案外あっけなく世良と堺はようやくテロリストたちを拘束した。
腰に帯びた手錠で女装の男の方を拘束する堺を、世良が見つめている。
「……あの、手錠忘れちゃったんスけど。貸してもらえない、っスよね?」
堺は「いい加減にしないと、減俸処分にするぞ?」と苦笑した。
テロリストに手錠をかけ、マウントした状態で携帯を取り出すと、堺は椿を呼び出した。
「椿か。今すぐ二十八階に手錠持って来てくれ。それから、堀田と赤崎には厳戒態勢に移行するよう伝えておけ」
世良にマウントされながらもなんとか逃亡を試みようとするテロリストを必死で押さえつけている世良に、堺は笑った。
「もう少し頑張れよ。今、椿が走って手錠持ってきてくれるから」
「っス」
なんとか逃れようと抵抗するテロリストを押さえつけている椿が到着するまでの一分ほどが、世良にはひどく長く感じられた。
結局、世良たちが捕まえたテロリストたちは、旅券法違反、劇薬所持違反、身分査証などの罪には問われたものの、夏木を殺そうとした具体的な証拠には結びつけづらいと言う判断になったらしい。
世良に言わせれば「今このタイミングでそれだけのものを揃えた連中があのホテルに居合わせる偶然はありえない」のだが。堺も同じ意見だったらしく、後藤に警護人数の増員を直訴したものの、通らなかったようだ。
大捕物の翌日、苦りきった顔で「警護はこのままの人員体制でいく」とチームの面子に告げた。
それから頭を抱えてがくがくふるえている夏木に向かう。
「夏木さん、この先このホテルにいては警護しきれません。別のホテルに移動していただきます」
「いやだ。家に帰りたい」
ここ数日、泣いたり急に躁になったりを繰り返していた男は、泣き叫ぶ。
「どうせ死ぬなら、妻と娘の顔を見て死にたいんだよぉ!」
夏木は妻子の写真を抱き抱えてふるえた。
いよいよはっきりと自分を狙う者がいることがわかった。夕べ殺されかけたばかりの夏木の恐怖は察するにあまりある。
堺はだが、首を横に振る。
「正直、我々もこの先何が起こるか予測がつきません。自宅に戻られた場合、最悪ご家族の方も巻き添えになる可能性があります」
堺に言われた途端、夏木は青ざめて泣き崩れていた顔をあげる。半分笑みを浮かべていた。
「……堺さん、それはずるいっスよぉ……」
「事実を申し上げただけです」
堺は短く言った。
夏木の移動には細心の気を使うことになった。
警護と気づかれないように一般の車両を手配し、人目を避けて一気に離脱する。
世良は堺と共に、移動先のホテルに先着して検索と消毒にあたった。
最初に泊まっていたホテルとは違って、ベッドルームが別になっているわけではない。ベッドが二つにテーブルがひとつと二つのいす。それからユニットバス。
ごく普通のビジネスホテルの作りだ。
前と違って、ホテルに出入りするのはほぼ宿泊客のみに限定されていて警護はしやすい。
まだ緊張は続いている。
夏木の存在の意味が変わることはなく、テロリストたちがたった二人きりという保証もない。
部屋が狭くなって警護しやすくなった分、狭い空間に複数の人間が常に詰めている状態は前にもまして一層ストレスが貯まりやすくなる。
夏木はいよいよ躁鬱の状態が激しくて、家族の写真を眺めては泣いたりぶつぶつ言ったりしていた。
プールのシャワールームで実際に毒物を盛られたことが相当ショックなようだ。
世良は妙にしおらしいモードになっているらしい夏木に息をつく。
今日はSPたちを大絶賛したい気分らしい。娘には大きくなったら君たちみたいな人と結婚してほしいだの、自分は娘の結婚式に出席することはできるのかだのとうつろな目で言っている。
そろそろ限界が近いことは見てとれた。
(空気が痛いや……)
夏木の緊張が直接世良の神経を刺激する。
当面の敵であったはずの夏木を狙っていたらしいテロリストは拘束したし、安全を考慮してホテルも移った。なのにまだぴりぴりと空気が殺気にみなぎっている気がして仕方がない。
まだ敵の第二波はこない。
ひたすら耐久戦が続いている。いつかいつかと待つこちらはただ消耗していくばかりだ。
その夜、いつものように堀田チームと交代するために世良は堺と共に夏木が潜伏するホテルへ足を踏み入れた。
警護について六日目。チームの面々にも疲労の色が濃くなっている。
そろそろ限界なのは夏木だけではなかった。
「……緊急避難経路、確認してきます」
堺に声をかけると世良は地下駐車場に向かう。
駐車場に出るドアを開ける。とたんにくらりと例のめまいに襲われる。
「……」
なにか、イヤな感じがした。前のホテルで韓国人の振りをしていたテロリストたちに遭遇した時と感じが似ている。
ぴりぴりと肌が緊張で刺すように痛くて、体毛が逆立っている。
視界にこの不快の理由となるものが見えないから、余計に気持ちが悪い。
世良は目を凝らして駐車場を見渡す。
誰もおらず、なにも変わったところがない。
「……」
ぴりっとした、なんともいえない刺すような緊張。もう一度全体を舐めるように見回す。
何もない。
車の入りは七割程度で、排ガスの臭いが充満していて少し息苦しい。堀田が調達してきた緊急避難用のバンは黒塗りで所定の位置に停めてある。どこかで空調が壊れているのか、天井から水が漏れているようで地面に大きな水たまりができていた。壁にはお詫びの張り紙がしてある。
世良は視線を巡らせる。
突然駐車場の入り口で音が聞こえた。車が一台入ってくるようだ。
「……っ!」
世良はそちらの方に近づいていく。ホテルに出入りしているランドリー業者らしく、のんきに昨日のサッカーの試合の話をしながらランドリーバスケットをおろしている。
大きなバスケットは空で、これから洗濯物が満載のそれと交換をしにいくらしい。業者らしき男たちから物騒な気配はまるでしてこない。
(気のせい、か……)
世良は後ろ髪をひかれながらも、夏木の部屋に戻った。
杞憂とは別に、今日も一日無事に終わりそうだ。堀田から連絡事項を確認すると、昼の番をしていた三人が帰り支度をはじめる。
その時だった。
ドアチャイムが鳴った。