SP-THE DESTINY-
**EPISODE 0-1**
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××年七月二十二日、永田夫妻の長男・永田恭平として生まれる。
六歳の時、浅倉秀和衆議院議員テロ未遂事件の際両親が巻き込まれ、テロ未遂事件の犯人である羽田により共に刺殺。
羽田はただちにその場で拘束され、裁判で無期懲役の処分がくだされた。
目の前で両親を惨殺された恭平は、重度の心的外傷後ストレス障害の症状が見受けられ、数年にわたりかなり不安定な状態が続いた。
事件当時浅倉議員の警護応援にあたっていた組織犯罪対策課世良係長の養子となり、姓を世良に改める。
××年警視庁入庁。警視庁浅草暑に配属。同年、養父母を交通事故で同時に亡くす。翌年、警視庁体術大会にて優勝。本人の希望と推薦を受けてSP養成訓練学校に入校。
現在に至る。
堺は目を通していた書類を机の上に投げ出した。
(まさか……こんなことが、あるのか?)
顔写真付きの経歴書類に書かれていたことはあまりにも予想外で、衝撃的だった。
窓の外は西日がオレンジ色の世界に染めあげている。世界はこんなにも美しくて、そして穏やかだ。
今現在も部下たちがテロリストの驚異に備えて警護任務についていることが信じられない。
外から訓練を受けているSP候補生たちを怒鳴る教官の声が聞こえてくる。懐かしい記憶と同じ光景だ。堺も十年以上前、ここでSPとしての訓練を受けた。
中でも当時から鬼と恐れられていた笠野教官から「おもしろいのがいるから会いに来てみろ」と連絡をもらったのは数日前のことだ。
「ちょっと変わり種だから、変わり者の堺なら気が合うんじゃないかと思ってな」
笠野とは今でも交流がある。訓練生にいいのがいたら連絡がほしいと頼んだのは堺だ。いい人材は早めに確保したい。そして堺が知る限り笠野ほど、人の才能を見抜くのに卓越した目を持った人間はいなかった。
相変わらずひょうひょうとした鬼教官は、電話で推薦した青年のことを「変わり種中の変わり種だな」と言って笑った。
その言い方が気になって、堺はわざわざ訓練学校まで足を運ぶことにしたのだった。
もう一人、笠野推薦の椿という名のSP志願の青年については、訓練課程を終えて既に所轄に再配属されていたおかげで、順調に自分の手元に配属をさせる手続きが進みそうだった。ちょうど大臣が危うく巻き込まれかけた高層ビルの火災現場から救出する一助を椿が担ったこともスムーズにことを進められる原因となってくれた。
運がいい。
だが、世良はまだ訓練課程にある。規定のカリキュラムを終えるのを待たなければいけない。
早急に信頼のおける自分のチームを作りたいと思っている自分の意図には若干合わない。他のチームから引き抜いた堀田も、まだ若いながらこれも笠野の推薦で引っ張った赤崎も見込みのあるいい人材だ。
思っていたよりも順調に自分のチーム作りは進んでいる。困ったことにいい人材が揃いすぎたがゆえに、少しいれこみ過ぎているという自覚もあった。
さすがにこうも順調だと多少落ち着いた方がいい気になってくる。
だからとりあえず笠野の顔をたてるくらいのつもりで訓練学校まで出向いた。気に入らなかったら、たとえ笠野の推薦をもらっても引き受けるつもりはなかった。
訓練学校を訪れると、ちょうど、訓練生たちが教官をマルタイに見立てて警護の実施訓練をしている最中だ。
建物の内部からマルタイを安全なところまで連れていくという想定らしい。
堺も記憶があるが、通常ではありえない程のトラップがふんだんに用意されている『失敗させること』が目的のそれだ。
成功することよりも、何が原因で失敗したのかを検討する方がよりたくさんの要因が絡んでくることになる実際の現場での糧になる。
堺の視界の中で、建物からマルタイを連れ出してくる二人の候補生がいた。
「……」
指示役を担っているらしい方の青年に自然と目がいく。小柄でどこにでもいる普通の青年なのに、なぜか目が引き寄せられる。
堺はじっと訓練の様子を見守った。
螺旋状になっている非常階段を駆け降りていく。訓練学校時代の記憶では階段の途中にトラップが仕掛けてあって、大概そこで引っかかって訓練は中断。そこから延々説教タイムになる。
「……っ」
小柄な青年が、足を止める。マルタイと同僚に何かささやくと、螺旋階段の手すりから下に飛び降りる。階段に張られたワイヤーから延びるトラップを確認すると、何事か指示をしてトラップを回避していく。
(大したもんだな)
笠野の推薦は伊達ではないらしい。わかっていても、建物内からテロリストを装った教官の攻撃を受けて頭の中が真っ白になってしまう訓練生がほとんどだ。
当の堺もよくあそこで引っかかって大目玉をくらったものだ。
三人はそのまま外に出る。どうやら駐車してある黒塗りの車にマルタイを乗せるまでがミッションらしい。
歩いている人間は多種多様で、実際の町中を想定している。だが、その内何人かがランダムでテロリスト役を務めており、訓練生はそのすべてを制圧しなくてはいけない。一見した限りでは誰がテロリスト役なのかは全くわからない。大概はひとり。多いときはふたりが定石だ。
小柄な青年の指示が飛ぶ。
「出前持ちの男を制圧しろ!」
もう一人の青年が瞬時に対応する。堺の見る限り、指示が飛んだ時点では出前持ちに扮している教官は何のアクションも起こしていない。
訓練生が飛びかかるのと、手にしていた岡持を地面に置いて代わりに懐から拳銃を出したのはほぼ同時だった。
指示役の青年は制圧を確認せずにそのまま一気にマルタイと一緒に車まで走り込む。車の陰にマルタイを隠すようにすると、すぐそばにいた乳母車の女に飛びかかる。
ベビーカーの中には手榴弾があった。
マルタイは現場が修羅場と化したのにおびえて車のドアを開けようとした。
「待ってください!」
青年が叫ぶ間もなく車のドアが開けられる。
中から銃口がつきだされた。小柄な青年は拳銃を構えるが、それより先にマルタイに向けて発砲されてしまう。
それで、訓練はジエンドだ。
「車の中に拳銃とかってずりぃっスよぉ!」と文句を言う青年に、教官が「マルタイのそばから離れるやつがいるか!」と怒鳴っている。
(今のは、ないだろ、実際)
これだけの仕掛けをテロリストにやられたら、現役のどんなSPでさえマルタイを護りきることは叶わない。
食堂で落ち合った笠野は相変わらずのひょうひょうとした様子で笑った。
「どうだ、世良は?」
「さっきの訓練……あんな難易度高いことをやってるんですか? あれじゃ誰もクリアできないでしょう?」
笠野は自慢げに笑う。
「あれくらいやらないと世良には訓練にならないんだよ。筆記はあきれるくらいばかだが、実践がなあ……俺は長いこと教官をやっているがあんなヤツは見たことないぞ。あいつ、ワイヤートラップにひっかかったこと一度もないんだ。訓練生なら課程修了までに十回は引っかかってもらわなきゃこっちの商売あがったりだっていうのに」
そう言う割にはちっとも悔しそうには見えない。笠野はかなり世良を気に入っているらしい。
「で……笠っさんは世良がSPとして、使えるとお思いですか?」
「今の現場だとあの能力は宝の持ち腐れになるかもな。だがなあ、宝を宝として使える、その辺のさじ加減をちゃあんと心得てくれるような上ならなんとかなる……つまり、上司によるんじゃねえか? 堺」
にやりと笑う。
堺は苦笑して「世良の資料を見せていただけますか? 一時間したら、世良を呼んでください。話がしたい」と笠野に申し出た。
目を閉じると堺の瞼の裏側にはいつも同じ光景がある。
暗い日曜日だった。
朝から大雨が降り続いていて、街には色とりどりの傘の花が咲いていた。
学制服をきっちり着込んでいった記憶があるから、まだ夏前のことだ。
選挙が近かった。街頭に停めた選挙カーの前で議員がひとり熱弁を奮って人を集めていた。
堺はその様子をじっと見守っている。
暗い深い闇に落ちていく感覚がずっと続いている。
堺の中には闇がある。闇は闇を呼び、いつか自分の中が真っ暗な闇だけになってしまう気がしていた。
現に、堺の内側はもう真っ暗だ。
目の前をふらふらとパーカーのフードをすっぽりとかぶった男が通り過ぎていった。雨なのに傘もささずに歩いている。
いやな感じがした。男から漂ってくる虚無の気配に、思わず足がすくんだ。明らかに怪しげなのに、なぜSPは気がつかないのだろうか、と思った。
議員は演説を終え、支持者に握手を求めて人々の間にいる。
もしものことがあるとは考えないのか、と思った。
すぐそばに家族連れがいたのはわかっていた。愛想を振りまく大物衆議院議員の顔もよく知っていた。浅倉は笑顔で通りかかった親子連れの子どもに握手を求める。
母親らしき女性が「握手してもらいなさい」と子どもを促している。
その女性にフードの男がぶつかった。
次の瞬間、この世のものとは思えない悲鳴があがる。女性が糸の切れた操り人形みたいにアスファルトに倒れた。一緒にいた夫らしき男がわめきながらフードの男に向かっていく。
妻を殺した刃が、男の心臓にも刺さる瞬間を堺は目の前で見ていた。
一歩も動けなかった。
浅倉は瞬く間に躯になった二人の人間を見ながら薄く笑みを漏らす。
「……」
それで、目の前で起きたこれが茶番劇なのだと堺は悟った。茶番劇のはずなのに、二つも死体が転がっているのはどういうことだろうかと思う。
「……」
気がつくと下から見上げてくる視線がある。たった今目の前で両親を殺されたばかりの少年がそこにいた。
目があった。
まっすぐな瞳だ。堺の中の真っ暗な闇の中に一筋の光を差し込むような強くて澄んだ瞳だと、堺は思った。
雨の中傘も差さずに、長いこと堺と少年は見つめ合っていた。
もしかしたら、これは運命なのかもしれない。
雨に濡れながら堺はずっとそのことを考えていた。