SP-THE DESTINY-

**EPISODE 0-2**




(運命、か……)
 オレンジ色の光が室内にも届いて明るく染めあげている。
 何度も読み返した世良の資料に書かれていた内容は、衝撃的だった。
「失礼します」
 ほどなくして、堺が笠野に頼んで借りた訓練所の一室のドアがノックされる。入ってきた世良に「その辺に座れ」と堺は促した。
 制服姿の世良は堺の隣のいすを選ぶ。
 間近く向き合う。
 昔の面影を堺は無意識に探した。そう思えばかすかにあのときの少年の面差しが世良の瞳の中にある気がした。
(ああ、目か……)
 記憶の中に今も鮮明に残る子どもの瞳を堺は思い出す。
 じっとこちらを見る世良の目はまっすぐで、あの時闇の塊みたいになっていた堺の中奥底までそのまま届いた同じ光を放っているように思う。
(あのときと同じ目を、まだ持っているのか、お前は)
 認識したとたん、世良の瞳の光は強さを増したような気がする。
「今日の訓練は見事だったな」
「いえ、最後失敗したんで……」
 恥いるような声に堺は「あれをクリアできるヤツは誰もいない。現役のSPでもな」と請け合った。
 だが笠野推薦の青年はかぶりを振る。
「いえ。先に車の中のテロリストを制圧してから、出前の男とベビーカーを片づければなんとかなったと思うんス。だから自分的にはちょっと……」
「それは、先に車の中に敵がいるとわかった場合だけだろ」
 銃口が車の中から向けられたのは一番最後の局面でだ。ところが世良は堺の指摘に微妙な反応をする。
 堺は(まさか)と思いながら尋ねてみる。
「……わかったのか? テロリストがそこにいると……俺もそういう経験はある。警護の現場で異常に感覚が冴えて、悪意を持っている人間に自然に目がいくってことが……違うのか?」
 世良は苦笑した。
「いえ、マルタイ役の教官がさりげなく狙われやすそうな位置に移動したんでそうかな、って」
 堺もつられて笑った。それは教官たちの演技力不足と言うことか。堺は続けて尋ねた。
「自転車とベビーカーの方はどうしてわかった?」
「あれは……ただ、わかったんス。見えたっていうか。堺さんの言ってることと同じなのかな。わかんないスけど」
 堺はうなずいた。
「経歴を読ませてもらった。大変な目に遭ったんだな……ご両親が巻き込まれた事件のことは、覚えているのか?」
「……よく、覚えてません」
「犯人が今、どこでどうしているのか、知っているのか?」
「知りません。知ってもどうにもならないんで」と、世良はうつろな声で言った。
「あの時のことを詳しく思い出そうとすると闇に取り込まれそうになるんで。だから、なるべく考えないようにしてるんス」
「どんな闇に取り込まれるっていうんだ?」
「もがいてももがいても、そこから抜け出すことができないようなそんな闇……っスかね」
 堺は目をしばたかせる。世良のいう闇に、堺は覚えがあった。長い間ずっと自分の内側にもある、あれのことだと直感的に思う。
 ならば、世良は自分の側の人間なのかもしれない。あの無明の闇を意識できるのは堺と同じ側の者だけだ。
 胸の内側がかっと熱くなる。
 見つけた、という思いが押さえても押さえても湧きあがってくる。
 それでも努めて冷静な声で世良に尋ねる。
「どうして警察官になろうと思った?」
「俺を育ててくれた養父が警察官だったからです。堺さんは?」
「俺は、正義を護るため、かな」
 世良は「ウソっスね」と笑った。軽く真実をつかれて、堺も微苦笑を浮かべる。
「SPは激務だ。マルタイの安全のために時には命もかけなくてはいけない。割に合わないことも多い。それでもSPになりたいと思うのか?」
「はい」
 短く、はっきりと答える世良に堺は重ねて尋ねる。
「なぜSPになりたいんだ?」

「俺のような境遇の人間を新たに生み出さないためっス」

(ああ……やっぱり……)
 多分自分は出会ったのだと、堺は思う。
「SPは、刻一刻と変わる周囲の状況に対応できなければいけない。お前にそれができるのか?」
「っス」
 まっすぐな瞳で世良は答えた。
(ああ……あの時の子なんだな、お前は)
 あの修羅場の状況で、堺をひたむきに見つめてきたあの瞳を堺は一日たりとも忘れたことはない。
 SPという道を選んだ理由はほかにもあるが、まぎれもなくあの雨の日の自分を見つめていた少年の瞳の強さが忘れられなかったことが、原因のひとつには違いない。
 あの日なにもできなかった自分が、もしかしたらあの日の子どもを生み出さない一助になれるかもしれない。
 そう願った思いは、真っ黒に塗りつぶされた自分の中の唯一の光だった。
 まさか、ここであの時の少年に会えるとは思ってもみなかった。
(運命、か……)
 だが、あまりにも皮肉なそれだと、堺は思う。



 本当はそのつもりはなかった。
 だが、堺が世良を引っ張りたいがためにあまりにもプッシュしすぎたらしい。
 丹波が「世良に会ってみたい」と言い出した。
「堺がそれほどまでに推す逸材なら先にあいさつしておかなきゃいけないだろ? 俺はさ」
 理事官という立場上、普段は無表情で冷徹を装っているが元々この男は悪のりするのが好きなタチだ。
 堺はそのことをよく知っている。へそを曲げられて世良獲得の障害になるのもやっかいだ。
 仕方なく訓練学校に丹波を伴って出向いた。
 半月ぶりで会った世良はなんだか初対面の時と違ってぶすっとしているように見えた。
 元来は明るくて人好きのするタイプだと思っていたから、なんだかそれが意外で、堺は戸惑う。
 笠野が丹波を紹介すると「っス」と眉間にしわをよせて短くあいさつをする。
「堺が猛プッシュしてきたから、一度顔を見ておきたくてさー。こう見えて俺は堺を信頼しているから、こいつが言うならだいたい黙って言うことを聞くことにしてるんだけどな。ただ人事は金が関わるからな、一人増員するということは四係にもっと任務を増やすってことだ。ああ、世良のほかにもう一人、若いのいれといたから来たら本気で休む暇もなく働いてもらうよ」
 まだ世良には堺の部下になることについて、内示すら通達していない段階だ。
 世良の瞳がゆらめいて、堺を見つめた。
「そういうことなのか?」と無言で問いかけられ、仕方なくうなずく。
 あの暗い日曜日のイメージがまた鮮烈に蘇る。世良はあの日のことを思い出すと闇に取り込まれそうになると言うが、既に身体の中が闇に染まりきってしまっている堺は、ではどうしたらいいのか。
 生きていくために、自分の真ん中に揺るぎなく据えているはずのものが土台からぐらつく。
 世良が自分を見つめる瞳は、それほど強くて鮮烈だ。



 丹波はあまり世良を気に入ってはくれなかったようだ。だが、それでもなんとか解き伏せて世良を堺の部下として迎え入れることを認めさせた。
 ちょうどそのタイミングで、ずっと水面下で画策してきた面談が実現した。
 これも運命なのかもしれないと、しみじみと堺は思う。
 世良に会ってから本気で目に見えないそんなものの存在を感じるようになった。
 西東京刑務所。この日、堺とそして羽田との面談があったことを知るものは誰もいない。記録にも残らない。
 そうするために、堺はずいぶんと尽力したのだ。
 政治犯は独房に入れられることになっている。テロリストは事件を起こした日以来二十年近くもの間、ほとんど一人で過ごしてきたことになる。
 砂のように流れていく永遠のような時間の中でこの男がなにを思って生きてきたのかはわからない。
 独房から呼び出された羽田は、あの暗い日曜日に見た時とは少し印象が異なっていた。
 うつろな瞳は変わらない。生気のない印象も変わらない。
(そういえばあの日はスカルのTシャツを着て、サッカーチームのタオルマフラーを首に巻いていたんだったな)と堺は思い出した。
 あれは、どこのチームだったろうか。東京の弱小フットボールチームのものだった気がする。ひょっとして羽田のひいきのチームだったのかもしれない。
 羽田は堺の姿を見ると「はじめまして……っスよね?」と薄く笑みを浮かべた。
 テロリストは「人といつも話をしていないから、なんか慣れねえな」といすに腰をおろした。
「……あんたの顔、見たことがある気がするなあ。どこかで会ったことはないのか?」
 堺は応えない。
 あの日、世良の両親の命を奪い、堺の行く道を決めた男は薄く笑った。
 どうしても、羽田から聞き出したいことがあった。
 世良に巡り会ったのは運命だと思った。その先につながるどの運命を選択するのか、それを見極めるために、どうしても知りたいことがあった。



 ある夜。堺は世良を呼び出した。
 世良が無事、SP訓練学校のカリキュラムを終えたその夜のことだ。同期たちと打ち上げにいくからと断られるかと思ったが、あっさりと堺の誘いに応じてきた。
 聞けばやっぱり、同期会を断ってきたらしい。
「いいのか?」と尋ねたら「どうせ、どうやって堺さんに引き抜かれたんだ? って同じこと聞かれるだけなんで」と笑う。
 ホテルの中に入っている鉄板焼の店は、堺のお気に入りの場所だった。
 目の前の鉄板で豪快に焼かれる肉や海鮮に、世良は目を輝かせて「美味いっス マジ、美味いっス」と喜んだ。
 初対面の日に遠い昔のテロ事件について話をしていた面影はまるでない、年齢相応の屈託のない明るい青年だ。
 訊かれるままに、SPの属する警備部警護課の構成や、遊撃隊にあたる堺のチームが担当することになるVIPの顔ぶれ、世良が明日から配属になる四係のチームの連中について話をしてやる。
「あの、丹波さんって……なんなんスか?」
 酒も適度に入って舌がなめらかになってきた頃、世良がおずおずと尋ねてくる。
 冷酒のコップをくい、と呷って堺はそういえば先日引き合わせた時に不遜な態度をしていたな、と思い出す。
「なに、って。俺たちの上司だ。年齢は俺と同じだがな」
「同期ってことっスか?」
「まあな。あっちはキャリア組で入庁しているからだいぶ上にいっているが、同期と言えば同期だな。大学も同じだよ」
「大学って……」
「東大法学部だ」
 隣で「うわ、東大卒の人ってはじめてナマで見た」と世良が驚愕しているのを、好ましく思う。
 今日はなんだかいい酒だと堺は思った。
「世良は、丹波のことが苦手か?」
「……苦手もなにも、まだ一度しか会ったことないですし。ただ……」
「ただ?」
 促されて世良は自分のコップに残っていた酒をくっと飲み干した。口元をぐい、と手首で拭うと渋々といった様子で告白する。
「ただ、この前俺に会いに来てくれたときに、なんかこう……笑ってるけど、本当は違うんじゃないかって……本心はどこにあるのかわからない人なのかもしれない、って思ったんス」
「……それは、俺も同じかもしれないぞ?」
 やっぱり世良は侮れない。堺はそう思いながら勘定を頼んだ。
「いえ、堺さんは……なんかそういうんじゃないって感じで」
 少し頬を染めて言う。
「別に俺を引っ張ってくれたからとか、これから上司になるとかそういうんじゃなくて……なんかはじめて会った気がしないっていうか……」
 世良のその言葉に、神経がぴりりと刺激された。
 ほとんど衝動に近い感情が一気に動く。それは、堺の中には常にはない激情だ。
「……世良、この後時間あるか?」
 現金で会計をしながらそう尋ねると、世良は「大丈夫っス」とうなずいた。
 堺は立ち上がると、スーツのポケットに入れておいたこのホテルのルームキーを見せる。
「じゃあ、つきあえ。部屋をとってある」
「……」
 世良は呆然として堺を見つめていた。



 部屋に入っても世良はまだなんのために自分がここに堺と二人でやってきたのかをわからないでいるようだった。
「シャワー浴びてくるが、世良はどうする?」
「あ……俺も、堺さんの後で……お願いします」
 緊張しきっている。今の言葉でようやく堺の意図を理解したらしい。先にシャワーを使った堺がベッドでくつろいでいると、やけに長い時間をかけた世良がバスローブを着てでてきた。
「酒は抜けたか?」
「っス」
 堺は読んでいた雑誌をサイドテーブルに置いた。
「正気になったら、帰りたくなったか? 別にここで帰っても、明日からの待遇は悪くなったりはしないから安心しろ」
「いえそうじゃなくて……俺、あの……男、はじめてで……」
「勃つか不安か?」
「それは、ない……っス」
「じゃあまず……ここに来て、お前がしたいことをしてみろ」
 そう言うと、世良は大股で部屋を横切ってきた。
「堺さん……」
 囁くと唇をぶつけるようにしてキスをしてくる。堺は目を開けたままでそれを受け入れた。
「ん……ふ……」
 ベッドの上に横座りになった世良の舌が中に進入してくる。

 あの遠い雨の日曜日。ほんの子どもだった少年とこんなキスをする日が来るとは思ってもみなかった。

「ん……」
 世良の手が、堺の着ているバスローブの合わせ目から侵入してくる。裸の肌にシャワーを浴びたばかりのさらりとした手のひらが触れる。女と違って丸みのない身体だ。
 日頃鍛えた筋肉は堅くて、ノーマルなセックスしかしたことがないだろう世良がそれだけでひるんだとしても不思議はない。
「……っ!」
 指が乳首をひねるようにしていじってくる。そのまま肩からバスローブを脱がされ、上半身を裸で世良の前にさらすことになる。
 キスは続いていた。あごの無精ひげがちくちくと当たる。小さな男の子から一気に青年に変貌を遂げた世良とのキスに、堺はいつしか目を閉じた。
 ベッドに身体を押し倒される。上に乗った世良の瞳がらんらんと欲情に燃えていて、堺の内側にぞくんとさざ波をたてる。
「やばいっス……なんか、すげ……勃ってる、俺」
 興奮した声に、堺は目を閉じる。
 濡れた舌が肌を這い回るのに任せた。子犬に舐められているようだと思い、目を開けると鼻をくすぐっているのが立派な青年になった世良の髪だと知ると奥から何かが一気にせり上がってくる。
 世良は乳首に妙に執着を見せる。飽きることなく吸い上げ、舌でそのかたちを確かめたがる。時折軽く歯をたてられ、堺は思わず声を漏らした。
 バスローブがいつの間にか身体の下でぐしゃぐしゃになっている。世良も同じホテルの備え付けのものを身につけていたはずだがこれもいつの間にか脱ぎ捨てられていた。
 肌が薄く汗をかいている。ぴたりと貼り合わさって離れるタイミングで微妙な刺激を堺に与える。
 全身をくまなく舌と唇で触り尽くそうとする世良の行為に徐々に声があがっていく。
 世良と寝たいと思ったのはなぜだろうか、と堺は思う。
 このホテルにくるまでは普通に夕飯を一緒にとるだけと思っていた。いや、最初からホテルの中の鉄板焼屋を指定した時点でそういう気になっていたのか。
「堺さん、堺さん……」
 肌の上に世良が痕をつけていく。最初に注意しなかった自分も自分だが、夢中の世良は全く遠慮する気はないらしい。
 少しおっかなびっくりの様子で伸びてきた指が中心に触れる。その熱さに驚いて一瞬逃げたが、すぐ勇敢にも再挑戦してきた。
 包まれて上下にこすられるとたまらない。リズミカルな動きに、息があがりっぱなしになる。
(運命、なのか……)
 自分の人生を決定づけたあの事件と少年。
 再び出会って道が重なった。
 これが偶然といえるのか。

 お前はロマンティストすぎるよ

 以前ある人からそう言われた。運命論者になるにしては殺伐とした職業を生業としている。
「あ……あ……」
 世良がゆっくりと挿ってくる。熱くて焼け死にそうだった。
 必死に名前を呼ぶ世良の姿があの日の少年に重なる。
(なるほど、俺はやっぱりロマンティストなのかもしれないな)
「堺さん……」
 耳に世良の声が明瞭に届く。はっきりとしたその声は、澄んだ冷たい水みたいに堺の底深くまで達する。
「堺さん……!」
 はっとして目を開ける。心配そうにのぞきこむ世良の瞳とぶつかった。
(強い……強くてきれいで、まっすぐな光だ。お前はずっと……そうだったのか?)
 激しい感情が胸を焦がす。

 それは、嫉妬だった。

「いいから、動け……」
 裸の世良を抱き寄せる。世良が刻む律動が徐々に激しさを増していく。
 あえぎ声を隠そうともせず、キスを繰り返し「もっと」をねだる。
 あの暗い日曜日を共に経験した。
 両親を目の前で殺され、それでもなお強く澄んだ瞳を持つ世良に抱くこの感情はどうしようもない。
(俺とお前は違いすぎる……)
 同じ運命の悪魔の時を過ごしていながら、どうしてこうも違うのか。違うはずなのになぜまた二人の道が同じになってしまったのか。
(いや、俺とお前の道は重なるわけじゃない……)
 まだ迷っている。だがもう戻れない。
 堺は千々に乱れる思いの丈を世良にぶつける。
 夜は果てしなく続いた。
 何度も達して、互いを食い合う。
 朝になれば、世良との道が重なる。
 それは果たして待ち遠しいことなのか、堺にはよくわからない。
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