SP-THE DESTINY-
**EPISODE III-1**
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堺が刑務所の面会室にいるのが見えた。
世良の知らない男と接見している。
(誰……? 誰っスか、そいつ……)
堺に刑務所暮らしの知り合いがいることが、あまりにも意外だと世良は思った。
(堺さん、誰なんスか、そいつ?)
だが、世良の問いかけは全く聞こえない様子で、堺は男に話しかけている。
「話す気になったか? あれは、偶然の事故だったんだろ? 頼まれて茶番劇のテロリストを演じるはずが本当のテロリストになってしまった。そうだろ?」
話しかけられた男は薄く笑うのみで答えようとしない。
「俺に、真実をよこせ」
「あんたの顔に見覚えがある気がするぞ?」
ようやく開いた口は、堺の問いかけの答にはなっていない。そうして、にやりと笑った。
(あれ……)
世良はそれでようやく心のどこかにひっかかりを覚える。
(俺も……こいつ、どこかで……)
一面識もないはずの男の横顔を、世良はどこかで見たことがあるような気がした。
「俺の中には、あの時からずっと丹誠して育てた実がなってるんだよ。もう熟して、あとは収穫のタイミングを待つばかりのな。あんたの中にもあるのか?」
「……」
今度は堺が黙った。男はまた笑う。
やっぱり、世良はこの男を見たことがある気がした。いや、男だけではない。堺にはじめて会った時も、同じようなことを感じた。
いつか、どこかでこの人と会ったことがある気がする、と。
黙ったままの堺に男はなおも語り続ける。
「だから、あんたのこと見たことがある気がしているのかもしれないな。もうすぐ収穫できるんだ、俺の中の実は。俺があんたの欲しい答を言ってやったら、どうする? きっと、俺より先にあんたが収穫しちまう。ここまで待って、どうしてそのおいしい役目を誰かに渡さなきゃいけない?」
「……」
堺は押し黙ったままでいる。
「あんたの中に、俺と同じ実がなってんのがわかるよ。けど、収穫をするための最後のきっかけがつかめてねえんだろ? だから、熱心にここに通って来るんだ、あんたは」
男がくくくっと笑った。
「あの雨の日から、俺の中で大事に大事に育てた実だ。誰にもやるつもりは、ないよ」
(雨……雨の日……)
世良の中に一気にイメージが広がっていく。
思い出すのは遠い雨の日の情景だ。
昼間の出来事だったはずなのに、なぜかひどく薄暗い印象がある。耳にうるさいほどの雨の音。生きている人間のものとは思えないつんざくような、悲鳴。絶望という響きの絶叫。
選挙カーを前にして議員が熱弁を奮っている。
よく見た顔だ。将来は総理大臣になるだろうと言われている。
雨だというのに、街頭演説にはそこそこの人が集まっている。ふらりと男がひとり現れた。
誰も気づいていないが、ひどく不穏な臭いがする。
ひどい雨なのに傘もささず、パーカーのフードを頭から被っている。某サッカーチームのタオルマフラーを首に巻き、物騒な雰囲気のスカルのTシャツを着ている。
目で追っていると、ふらふらと人の間を抜けて前に出てくる。
議員は演説を終えて周囲の支持者とそれから関係のない歩行者にまで握手を求めていた。
スカルのTシャツを着た男は、うつろな目をしている。
男が目の前をすっと通り過ぎた。
悲鳴。
何が起きたのかはわからず、ただ、ついさっきまですぐそばで自分の息子と笑顔で話をしていた女性と、悲鳴をあげた妻らしきその女の人を守ろうと立ちはだかった男が地面に転がっていた。
雨なのに。大雨なのに。
二人とも、全身を雨に打たれて濡れてしまっている。いや、濡れてるだけではない。
赤い。女の人が着ていた白っぽい服が真っ赤になっていた。
ただじっと、転がって動かなくなったその人たちを見ていた。
そうして……二人の子どもらしい小さな男の子を抱きしめながら冷たい躯を満足げな笑みを浮かべて眺める、あの男。
あの男の笑みを見ていた。
ふと、視線をやる。
議員は秘書とSPに促されてその場から消えていた。残された男の子は何が起きたかも分からない様子で雨の中冷たくなっていく二人の身体を見ている。
目があった。
(ああ、そっか……夢か、これ)
堺と抱き合って、そのまま同じベッドで眠る夜、よく見る夢だと世良は思い当たる。
堺が見知らぬ男と刑務所で接見しているのを俯瞰して見ている。それから、世良の心の中に凍り付いたあの日のプレイバック。ただ、自分の目から見ている映像ではない。
あの時その場にいあわせた、高校生くらいの男の人の目を通してあの日の惨劇を見ている。
いつものパターンだ。
(なら、安心していいか。どうせ、目が覚めたら忘れてる……)
朝になって、堺がまだ隣にいるかいないかに関心のすべてが持って行かれると、引く波に持って行かれる砂みたいに、世良の中からこの夢の記憶は消える。
(これって……堺さんの目からあの時のこと見てるのかな)
世良はそう思う。
(なら、あの時堺さんは俺の両親が殺された現場にいたってことになるな)
そんなばかな、と思う。だが、あの時の高校生が堺だという確信は強い。
犯罪者の意識とシンクロする自分が、隣で寝ている人の記憶や夢をシンクロしてしまったとしても不思議なことではないとも思う。
ならばこれは、ただの夢であるわけがない。
だがそれも、目が覚めたら忘れている。
堺が隣で眠っているかどうか、そのことが世良にとっての全てで、夢の中のことなど全て蜃気楼よりもはかなく霧散してしまっている。
記憶には、何も、残らない。
最近、世間を騒がしている事件と言えばユナイテッド証券事件で間違いない。
証券法違反の罪で捜査のメスが入ったと報道があったのは先月のことだ。
元々は株の先物取引を行っていた会社なのだが、インサイダー取引、風説の流布、粉飾決算と見事にカードを揃えてきた。その顧客には政財界の大物が繋がっていそうだと、検察だけでなく公安までもがのり出してくる一大汚職事件へと事態は展開していく気配を見せている。
世良たちにとある男の警護命令が下ったのはその最中だった。
「……夏木陽太郎って、誰っスか?」
世良の質問に堺はうなずく。
「ユナイテッド証券の一連の株取引疑惑の中心にいる、いわば裏の金庫番だ。先に逮捕された連中ががんとして知らぬ存ぜぬを続けているせいで、いろいろあってな。身柄を拘束したくても今の段階では引っ張れないでいる」
「事件の容疑者を、警護するんですか?」と椿がいぶかしげに尋ねる。こんなことははじめてで、戸惑っているらしい。
「こういう事件では得てして関係者が不可解な死を遂げたりするものだから、だそうだ。検察が夏木を引っ張れるだけの物的証拠を固めるまでのタイムリミットの一週間、ウチが警護しろという命令だ」
今朝も事件の中心人物と目されているユナイテッド証券の社長が、自宅で酔って溺死するという事件が起きている。
事故だという報道だったが、あれはつまり、そういうことなのだろう。
赤崎と椿が目配せしあった。
世良は、じっと堺を見ている。
あの病院テロの日以来、堺とはすれ違いが続いている。なまじ直前まで頻繁に会っていただけにひどく堪える。
あの夜、ホテルのエレベーターに時間差で消えた堺と丹波の姿が引っかかったままでいる。
(あの後、丹波さんと何をしてたんスか?)
さすがに偶然二人がほとんど時間差なしで同じホテルを使っていたとは思わない。夜遅いホテルの部屋で落ち合って何をしていたのかと考えると、それだけで内蔵が焼けるように痛い。
時々思うことはあったのだ。警護課赴任の前夜、まだ会って二度目の世良を堺はベッドに誘った。はじめて抱いた堺の身体は既に男を知っているのは明白で、世良は喘ぐ声の向こうに幾人もの影を見た気がする。
問いつめるにしては、堺と自分の間には言葉が足らない。
世良は堺と目を合わせたままでその場に立ちすくんだ。
夏木が潜伏しているのは、都内でも有数の大きなホテルだった。
巨大ホテルは人の出入りが多くてテロリストからマルタイを護るのにはいかにも不向きな場所だ。
「なんだってこんな狙ってくれって言わんばかりのところに引きこもるんスかね」
椿がきょろきょろとあたりを見回しながら言うと、堀田が苦笑する。
「マルタイのご希望らしいから仕方ないな」
「それは、間違いなくめんどくさいヤツってことじゃないですか」
赤崎が眉間にしわを寄せた。
堺以下チーム四人の計五人が今回の警護にあたることになっている。
八時間ずつの交代制で二十四時間夏木を護り、検察が安全な檻の向こうに連れていくまで命を保証する。
夏木が潜伏している部屋の前で、特捜の連中とバトンタッチした。
堺が代表して部屋の呼び鈴を鳴らす。扉の向こうで音がして、魚眼レンズの前に誰かが立つ気配があった。
「み、み、身分証を見せろ! 顔の脇に並べて、か、顔がわかるように!」
ひっくり返った声は命を狙われている緊張からだろうか。堺が言うとおり顔の脇に身分証を並べて見せると「よし、次」と声がした。
「あー。間違いなくめんどくせぇ……」と背後で赤崎がぼやく声がする。
堀田、世良、赤崎、椿の順に顔と身分証を並べて魚眼レンズの前に並ぶ。椿の見せ方が気に入らなかったらしく一度リテイクを出されたものの、ようやく夏木は世良たちを信頼する気になったらしい。
到着してからたっぷり三分かかってようやく部屋の扉を開けてくれた。
「早く。中入れ……っ」
現れたのはちりちりのパーマが当たった男だ。日本人なのだろうが、どことなく暑苦しい印象だ。とても巨額の株を指先ひとつで自在に操る相場の魔術師と呼ばれる人間には見えない。
部屋の中はカーテンを閉め切り、灯りも点けず真っ暗だ。ジュニアスイートの部屋はリビングと簡易キッチン、それから主寝室とゲスト用の寝室がある豪華な作りだった。
世良の自宅とは比べるのも虚しい。
堺は窓のカーテンをさっと開けた。陽光が部屋に差し込んでくる。
「やめろよ! 外から狙われたらどうしてくれんだよぉ!」
夏木が泣き叫びながら頭を抱えてソファの影にうずくまる。堺は息をつくと、カーテンを元通りに締め「椿、灯りをつけてくれ」と指示をする。
それでようやく夏木は落ち着いたらしかった。
ソファに座りなおすとがたがたと震え始める。
「夏木さん、この五名が今回あなたをお護りするチームです。顔をよく覚えてください」
堺はてきぱきと夏木に警護のために遵守してほしいことを指示していく。
仲間がひとり不審死を遂げたばかりの夏木はうなだれながら、テーブルの上に置いた妻子とおぼしき写真の上に視線を巡らせた。なかなかの美人で子どもは父親そっくりのちりちりの頭をしている。どうやら、夏木のそれは天パのようだった。
「俺も、殺されるのかなぁ……」
つぶやく声は芯から恐怖に怯えている。
巨大なホテルは警護に向かないから別のホテルに移れという懇願は拒否されたが、それ以外のことには従ってくれるらしい。堺は早速この部屋に妙なものが仕掛けられていないかの検索と、避難経路の確認、及び待避用の車両の準備を指示する。
世良は堀田とともに非常階段をチェックしに向かった。
「俺、このまま下までおりてみます」と世良は堀田に提案する。
「ここ、三十三階だぞ? わかってんのか?」
「最近ちょっと……運動不足なんで、ちょうどいいっス。発散してきます」
階段を駆け降りる世良の耳に「若いねえ」と笑う堀田の声が届いた。
(堺さんと、ペア、か……)
八時間ずつの交代で夏木の警護を行うことになった。チームは堺の指示で、堀田・赤崎・椿と堺・世良の二班に分かれることになっている。
今日はホテルの検索が終わったら、堀田たちがホテルに残り、夜に堺・世良のコンビと交代するスケジュールだ。
任務だから、変に考える必要はない。堺とベテランの堀田がチームを分かれるのは当然だ。そこに若手三人をどう割り振るかだけの話だ。
世良は階段を駆け降りた。
高層階から非常階段でロビーに出るとさすがに息が切れる。体力には自信があるが、三十三階から一気に降りてけろりとしていられるのは椿くらいなものだろうと世良は思った。あれは、体力の化け物だ。
いざとなったらマルタイにもつきあってもらわなくてはいけないが、なるべくエレベーターでいきたいところではある。
(まあ、あの人元気そうだしなんとかいけるかな?)
世良は夏木の顔を思い出してそう結論した。
なんだか、九〇分くらいならその辺を元気に走り回っていられそうな顔をしている。
人は案外、みかけによる。
ロビーに出ると巨大ホテルだけあって、雑多な人々が行き交っている。宿泊客以外にもロビーでの待ち合わせやラウンジの利用、結婚式の披露宴やパーティーへの出席など、人の出入りが多いこういうホテルは警護がしにくい。
世良は中に妙なのが紛れていないか意識をとばす。
(……っ?)
ロビーの一角、待ち合わせ用の一人掛けソファが並んでいるあたりに視線をやる。世良はすっとそちらに足を向けた。
英字新聞を広げて読んでいるビジネスマンらしき男の隣に腰掛けると、ため息をついた。
「英語なんて読めんスか? てか、なにやってんスか、ガミさん」
「仕事に決まってんだろ。お前こそ夏木の警護中だろうが。サボってんじゃねーよ」
髪をオールバックに撫でつけ、銀縁のめがねをかけた石神が顔色ひとつ変えずに世良に答える。
世良はため息をついた。
ここに来る前に堺から夏木がこのホテルに潜伏していることは極秘事項だと言われたばかりである。
「公安って、なんでも知ってるんスね。俺の初体験の相手、誰だか知ってますか?」
「……言って欲しいか?」
「……遠慮しときます。マジでこと細かく知ってそうでなんか、イヤっス」
石神は「さすがにそんなとこまで調べる経費出ねえよ」と真顔で言う。では経費さえ出れば調べると言うことか。
(調べそうだよなあ……この人)
世良は苦笑した。つい最近本社入り……警視庁本庁への勤続……となった世良にとっては所轄時代の先輩である石神は自分のチーム以外でほとんど唯一気楽に話ができる存在だ。
その石神は、どうも公安のルーキーらしい。以前堺にそんなことを聞いて妙に納得した覚えがある。人の悪い石神は、新聞から視線を逸らさずに言った。
「それに俺はどっちかって言えば『今』のお前の相手に興味がある」
「……冗談、キツ……」
世良が息を飲むと、石神はふっと息を吐く。
「まあな。俺も世良が一晩で何回ヤッたか、体位はどうか、相手はイケたか、そもそも巧いのかでかいのかなんて、そんなこと経費で調べたいとは思ってねえよ。だけどお前らのチーム、今、結構ホットワードだからな。ウチの達海さんは変人だからガチでその内命令されっかもよ?」
石神は真顔で淡々とそう言った。
「世良、検察内でも夏木の扱いをどうするかで今、綱の引き合いやってる。お前の関わってる案件はそう単純じゃねえよ。夏木に生きていてもらいたくない連中は多いんだ。気をつけろよ?」
「っス」
やっぱり人の悪い先輩に声をかけるべきではなかったと、世良は心から後悔した。