SP-THE DESTINY-

**EPISODE II-1**




 担当医はできれば女医だったらいいなと思っていた。
 なんとなく優しくしてもらえそうだからという根拠のない理由からだ。実際、ボブカットの妙齢の美人だったのは幸いだが、残念なことにきびきびと余韻もタメもなく話をするタイプで世良がもっとも腰が退ける種類の女性ではあった。
 もっとも、ここのところ女性にそういう気持ちを持っていかれる隙間が世良にはない。
 女医は、てきぱきとさっき撮影した世良の脳のMRI写真を見ながら語りかけてくる。
「全体的に脳の活性値が非常に高いわね。高すぎるといってもいいかしら。ここまで高いと、日常生活に支障を来すレベルだわ。持続力はともかく、世良くんは異常に記憶力がいいってことない? ……そう、やっぱり。それは世良くんの脳の活性状態に直結していることなのよ」
 淡々と検査結果に基づく診断を告げる口調は淀みがなく、容赦がない。
 医者の話はいつでも難しすぎると決まっている。全部が脅しに聞こえるからこれは本当は怯えるべき事態なのかどうか判断に迷ってしまう。
 世良は、堺の忠告に従って渋々病院に来ている。
 前夜、久しぶりに堺と逢って寝た。
 以前何度かあったように途中で無粋な呼び出しがかかることもなく、たっぷりと堺の身体に溺れることができた夜だった。
 夕方まで堺と一緒についていた任務は野党党首の街頭演説で、世良は街を歩く人々の雑多な気にあてられ、何度もめまいを覚えた。
 警護中、どうやらそれをめざとく見ていたらしい。
 抱き合った後、ベッドの中で「明日は病院に寄ってから登庁してこい」と言われたのだ。
(少しは俺のこと、気にしてくれてるってことかな?)
 世良としてもSPになってからどんどんひどくなっていっているこの症状はまずいと思っていたのだ。堺に背中を押してもらう形で検査に来る踏ん切りがついたのはよかったかもしれない。
 女医は「血中に含まれるNGF細胞の濃度も高いわねえ」と検査結果のデータを見ながらため息をつく。
 要するに、世良は感覚神経が異常に鋭敏になっているらしい。
 敏感すぎて、いつも眠りが浅かったり、人が感知できないような臭いを認知できたり、ささいな他人の会話がうるさくてたまらなかったりする。らしい。
 勤務中に幻覚やめまいが生じるのは世良の脳の活性値と血中NGFの異様な数値に由来しているのだろうと、女医は結論づける。
 医師が伝える症例はすべて、世良には覚えのあることばかりだった。
 そしてやはり、それは決していい状態ではないと断言される。
「とにかく、緊張状態を持続しないように、できる限りリラックスすること。いいわね?」
「じゃあ、仕事辞めなきゃっスね」
 小声で言って、ため息をつく。
 女医はなおもこう続ける。
「NGF細胞については幼少期にある程度の形成が決定されるのだけど、その頃に不規則な生活を送っていたとか過度のショックを経験したりということはない?」
「……」
 医師のその一言を聞いた途端、世良の心の中に黒い霧が降りてくる。

 思い出すのは遠い雨の日の情景だ。

 昼間の出来事だったはずなのに、なぜかひどく薄暗い印象がある。耳にうるさいほどの雨の音。生きている人間のものとは思えないつんざくような、悲鳴。絶望という響きの絶叫。
 最初に母。それから、父。
 うつろな目をした男だった。
 最初、何が起きたのかはわからなかった。ただ、ついさっきまで笑顔で自分に話しかけてきてくれていた両親が地面に転がっていた。
 雨なのに。大雨なのに。
 二人とも、全身を雨に打たれて濡れてしまっている。いや、濡れてるだけではない。
 赤い。母の着ていた白っぽい服が真っ赤になっていた。
 世良はただじっと、転がって動かなくなった両親を見ていた。
 そうして……幼かった自分のことを抱きしめながら冷たい躯と化した両親のことを満足げな笑みを浮かべて眺める、あの男。
 あの男の笑みを見ていた。
 ふと、視線が気になって振り返る。
 雨の中、その場に凍り付いたように立ち尽くしている人がいた。まだ、学生らしい。学ランに身を包みじっと世良を見ている。
 うつろな瞳だ。
 怒りと悲しみとが渦巻く瞳だ。
 黒い、暗い、闇のような……

「……っ」
 幻覚は、ふいに現実のビジョンに戻る。
 世良はひりつく喉を意識しながらかろうじて女医に「そんな覚えはありません」とつぶやいていた。



 現在の厄介な症状のひとつに、耳が敏感になっているということも含まれると医者は言っていた。
 警視庁のエレベーターホール前、なかなか来ない箱を待っていると誰かが大理石の床を歩いてきて世良の隣に立つ。
「ガミさん、はよっス」
「お前は相変わらずキモいな。せめて黙視確認してから声かけろよ」
 隣で石神が苦りきった顔で言う。世良は「ガミさんの歩き方、特徴あるんス」と笑ってみせた。
 石神は学生時代にやっていたサッカーで靱帯を痛めているらしく、歩くとき無意識に右足をかばうクセがある。世良の耳はそれを聞き分けられる。
「今、どこ潜ってんスか?」
 まっとうに返事をしてもらえるとも思わず、世良は朝の天気を問うように尋ねてみた。
「ひ・み・ちゅ」
「キモいっス」
 お返しとばかりに本気で言うと、頭を小突かれる。このあたり、所轄時代の上下関係を遠慮なく行使してくるのが石神という男だ。当時はなんだかんだでいろいろとかわいがってもらっていた。そのおかげか、公安とSPという立場がわかれても今でも何かと絡んできてくれる。
 堺班の連中以外で、本社で世良が気軽に話ができる唯一の存在と言っていい。
「世良は今、誰についてんだ?」
「秘密っス」
「……緑川元総理の検査入院警護ってとこか」
 さらりと石神が言った言葉に世良はぎょっとした。
 ここ三日ほど世良と赤崎は警護の配置がなく、待機状態だ。次の配置についてはまだ全く情報をもらっていない。だが、石神の言う通り元総理が入院ともなれば当然SPは配置されるし、現在待機の二人が当てられる可能性は高い。
「ガミさん、それ……」
「いけないんだぞぉ……公安の機密情報をたとえ身内にでもバラしたりしたらぁ」
 いきなり、後ろから肩に手を回された。
「!」「わ! あんた忍者っスか? 達海さん!」
(今、気配なか……っ!)
 鋭敏すぎると医者に指摘された世良の耳が、近づく足音を察知できなかった。
 気を抜いていたとはいえ、自分に向けられる意識を持った足音はごく自然に世良は聞き分ける。
 それを許さないとは、どういう人間なのだろうか。
 世良は心底気味が悪くなる。
 達海は、にやりと笑った。
「お前が世良、ね。この前はテロリスト逮捕ご苦労さん」
 エレベーターの扉が開く。三人で乗り込んだ。
「お礼に今度メシ奢ってやるよ。超美味い、俺推薦のヤツ」
「世良、言っておくけど達海さんのおススメってコンビニのサンドイッチとドクペのことだからな。間違っても料亭とか想像してついてったらケガするぞ」
 石神がうんざりした顔で言うと「お前、ネタバレは卑怯だろ?」と達海が眉をひそめる。
「最近のコンビニはすげえぞ? で、世良。マジで、今度メシでも食いながら話でもしようか……例えば、そう……堺のことあたりなんかをさ」
「え……?」
 思わず問い返そうとしたところで、公安のフロアについた。
「んじゃ、またねー」
「がんばれよ」
 上司と部下は世良の戸惑いを無視してエレベーターを降りていく。
 後には困惑の世良が残された。



 緑川宏は、一昨年任期満了と共に現在の浅倉秀和に与党の代表及び総理の座を譲っている。
 国民からの人気はなかなかのもので、当然総理の職をもう一期続けるものと誰もが思っていたところが、あっさりと身を引いた。
 浅倉の工作が原因とも、自身の健康面に不安を抱えていたからとも言われているが真相はわからない。
 ただ、浅倉に政権が変わってからの与党ははっきりと緑川時代よりも旗色が悪い。今度の国会で内閣不信任決議案が野党より提出されるのは必至の状態だ。
「どうも、緑川元総理の再登板が噂されてるっぽいっスね」と、赤崎が言っていたのを世良は思い出す。
 石神からの情報は正確で、警護課にきた時には既に堺が後藤課長と密談を交わしており、現在配置についている堀田・椿が出ていった後で二人そろって堺に呼ばれた。
「緑川元総理の検査入院の警護に当たれ。開腹手術は午後一時からの予定だ。この入院は極秘事項のため、外部への情報の流出に特に注意するように。赤崎は先に東東京病院に行って事前の検索と消毒。世良は緑川邸からの身辺警護だ」
 短く告げられた指示に、赤崎と二人でうなずく。堺は息をついた。
「病院は非常事態の起こりにくい場所だが、気を緩めるなよ? よし、行け」
「っス」「っス」
 きびすを返して、配置につこうとする世良を堺が呼び止めた。振り返ってデスクに引き返すと、堺が赤崎の消えた方を少し気にしてから尋ねてくる。
「病院の検査の結果はどうだった?」
「……なんでもなかったっス。ただの、過労とかで」
 昨日は、病院から戻ってきた時には堺が外出をしていて結局そのまま会えずじまいだった。メールもなくて密かに気にしていたのだが、堺がちゃんと世良のことを思っていてくれた。そのことは、とてもうれしい。
 だが、病院で医師に告げられたことを素直に伝えるわけにはいかないと世良は思った。
(俺、SPの仕事続けたいっス。堺さんと一緒に)
 切ないくらいにそう思う。
 やっと出会えた、という気持ちが強い。
 あの黒い記憶の雨の日からずっと、薄い闇の中を生きてきた気がする。
 SPとして抜擢されてから、めまいや頭痛は一層ひどくなったものの、ようやく楽に呼吸ができるようになった。堺と一緒に生きていると、より所のなかった人生が輝く。
 だから、怖かった。
 部員のことをひどく気遣ってくれる堺が、世良の状態を心配するがあまり、別の部署への異動手続きをさっさとすませてしまうかもしれないと。そのことが、ひどく怖かった。
 今でさえ、堺のことはよく見えない。
 何度抱いても、快楽の向こう側にいる堺本人を、まだ自分は抱くことができていないと思う。
 ただ肉欲だけでつながっているような現状で、離ればなれになることなどできない。
 堺は世良の報告をどう思ったのか、ため息をついて「そうか……」とうなずいた。一応は信じてくれるらしいとわかってほっとした。
「……だが、無理はするなよ?」
「っス」
 世良は深く頭を下げて、緑川元総理の警護任務につくため走っていく。
 途中で携帯が鳴った。

今夜、十時。イーストパレスホテル。

 堺からのメールに「行きます」と短い返事を打つ。
 現金なものだ。もう、心が浮き立っている。
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