SP-THE DESTINY-

**EPISODE I-3**






 例の仕込み杖の男はやはり釈放されたらしい。
 朝、堺が世良にそう言った。
 知事警護の二日目も、多忙なスケジュールは何事もなく消化されている。
 しごと奨励センターの視察からはじまったスケジュールは、もっとも緊張を要求された街頭での応援演説を消化して、なお順調だ。
 王子に「犬」と指名された赤崎と椿は少し大変そうだが、ジーノが気に入ってくれたおかげで変人と名高い知事の割には非常に協力的で助かっている。
 この分なら、あるいはSPの人員を減らすこともやぶさかではないのではないかと、堺と隣のチームの係長が話をしているのが耳に入ってきた。
(そうかな?)
 世良は少し疑問に思う。
 スキンヘッドのテロリストは明らかにジーノを狙っていた。そいつがほとんどおとがめなしで釈放されたことも気になるし、何よりも昨日確かに見えた濃い恨みの陽炎が世良の中にずっと残っている。
 あの丸めた小さな背中はジーノに反論され、屈辱に震えていたように思う。
(あいつ、大丈夫か?)
 赤崎が言っていた通り、記者クラブは各マスコミに所属する事前に身分を保証する書類を提出した者だけで構成されている。自分が何者かを宣言した連中の集まりだ。都知事付きともなれば各社政治部でも敏腕な人間に類する者たちに違いない。
 確かにあの場で犯罪を起こせば一発で身元が明らかになって、逃れることなど不可能だ。エリート記者人生をたちまち棒に振ることになる。
 たとえジーノに個人的恨みを持っていたとしても、普通はあそこでことを起こそうとは思わない。
 だが逆に。
 都知事についている強固な警護は、記者クラブの会見場では一瞬緩まる。通常なら近づけない人間に、ほんの数メートル駆け寄るだけで最接近できるのだ。
 会場にいるSPは二名ほど。しかも、ここで事件が起きるわけがないと思って立っている。
(もし、自分はどうなってもいいから王子を殺したいと思っていたら?)
 あの濃い恨みの陽炎を見たばかりだからこそ、世良は思うのだ。
『もしかしたら』と。
 その日は、午後からの日程に都が推奨する自然文化遺産についての発表が組み込まれていた。
 世界自然文化遺産として認定を受けたばかりの小笠原の現在の状態といかにしてこれを維持、保護していくかについての都の見解をまとめたものらしい。
 昨日、世良が不穏な陽炎を見たあの会場が発表の場として用意されている。
 受付がはじまったロビーで都の発表の取材と言うよりは、人気知事の今日の動向をいい席で押さえようと言う目的の記者たちが受付を通って一斉に入ってくる。
 身分を保証された者たちだけが参加し、おまけに互いに顔見知りという状況で行われる会見だ。受付はあるものの金属探知機のひとつも用意されているわけでもなく、ボディチェックすら行われていない。
 知事を狙っていたテロリストが釈放されたという情報が警護担当に伝わっていないはずがないのに。
(堺さんが現場仕切ってたらこんなことないのに)
 今回はあくまで隣のチームの応援というかたちだ。堺は自分のチームを束ねてはいるものの、決して警護の主導権を握っているわけではない。
「……っ!」
 さっきから胸のざわつきが止まらない。いやな汗をかきながら記者たちが入ってくる入り口をにらみつけていたら、背後から肩をたたかれた。
 振り返ると、上司が気遣わしげな顔をして立っている。
「……堺さん……」
「大丈夫か? お前、すごい顔をしてたぞ。何か気になることがあるのか?」
「いえ、ちょっと昨日……っ!」
 会話を交わしながらぬかりなく投げている視線の先に、昨日の小さく背中を丸めていた記者の姿が映った。そのままじっと視線で追う。堺もその姿を認めたらしい。
「あいつか? 何かあったか?」
「あの男から、目を離さないでください」
 堺はうなずくとそれ以上何も訊かず、軽く世良の背中をたたいて今回の警護責任者である同僚の係長を捜しに姿を消した。
 世良に目を付けられているとは気がついていないらしい男は、どこか落ち着かない様子できょろきょろとあたりを伺ってばかりいる。小脇に抱えた鞄をやたらと気にしているのが目に付いた。
(どうしよう。ちょっと呼んで話を……)
 思わず足を踏み出そうとして、また肩をたたかれる。堀田だった。
「世良、発表がはじまる。俺たちはその間、控え室で待機だ」
「……っス」
 堺がちゃんと上申してくれている。だから平気だと、無理矢理思いこむことにする。
 それでも、どうしても世良は後ろを振り返り振り返り控室に向かうことになった。
 くらくらとするあのめまいはさっきからずっと強くなるばかりだ。
 控え室には期間限定・王子の犬二匹も先に入っていた。
「なんだお前たち。飼い犬がそばにいないってジーノが期限損ねるんじゃないのか?」
「気持ち悪いこと言わないでくださいよ、堀田さん。その代わり、帰りは王子の車に同乗です」
「ずいぶん気に入られたもんだな。今回の任務が終わったら知事の専任に引っ張られるんじゃないのか?」
「あー、それはないっス。そろそろ飼い犬ごっこに飽きてきてるみたいなんで」
「大体、そんなのこっちからお断りです」
 椿が苦笑して首を横に振った。赤崎は憤慨している。堺は黙ってそれを聞いているようだった。
 まだ現場だ。不測の事態に備えて緊張感をゆるめてはいないが、それでも警護対象者が目の前にいないとなると、多少楽な姿勢にはなれる。
 だが、世良はどうしても落ち着かないままだ。
 堺は一番最後に控え室に戻ってくると「会場入りする二人にもそれとなく気をつけておけと言っておいた」と囁いてくれた。だがどうもひきつるような感覚が抜けない。しびれるような不安感は今朝起きた時からつきまとっていて、この会場についた時からいきなり大きくなった。
 もうはっきりと、あの背中を丸めた男の悪意と害意がわかる。
 肌を刺すように、痛い。
「……っ!」
 いても立ってもいられなくなって世良は立ち上がった。入り口に向かう世良の前に赤崎が立ちはだかる。
「世良さん! どこ行くんスか? 椿! お前も手伝え!」
「っス!」
「トイレ行くんだよ。どけ、赤崎」
「ウソですね。世良さん、昨日のアレで王子の秘書から堺さんにクレームついたんですよ? それ知ってて行くんスか? 頼みますから、わきまえてください」
「俺もザキさんにつくっス」
 椿も真剣な目をして立ちはだかる。堺は元々上層部から『キレ者』との評価も受けているが同時に『くせ者』としても煙たがられているらしい。
 SPの現場改善を真正面から訴えては、ことごとく後藤課長や丹波理事から却下を食らっていると、堀田がこの前教えてくれた。何度もそれが続けば、当然堺の立場にも影響が出てくる。
 堺はそもそも東大法学部を出てわざわざ一般試験を受けて入庁してくるような気骨を持っている人間だ。本来ならそれこそすでに理事官あたりの職についていてもおかしくないだけの逸材が「現場にいたい」という一心で世良たちの側にいる。キレ者で済んでいる内はいいが、やっかい者扱いをされたらその先に待っているものが恐ろしい。
 今の堺チームは完璧で、たぶんこれ以上に仕事がしやすい環境はこの先得ることはできないにちがいない。
 赤崎も椿もそのことをわかっていて、そして上司の身の上を心配しているのだ。
 だが。
 思わず世良は堺の方を見た。
「赤崎、椿、行かせてやれ。俺もついていく。なら問題ないだろう?」
「堺さんっ!」
 若手三人で同時に名前を呼ぶと、堺がいつもの不機嫌な表情で立っている。
「どうせ俺にクレームつけられるんだったら、一緒に行けば問題ない」
 たいしたことではないと、堺は言った。
 世良は堺を見つめる。
「俺たちの仕事は、警護対象者を守ることだ。何か気がかりがあるならそれを排除するのは、当たり前だろう?」
 堺の目はいつも怖い位にまっすぐだ。その瞳にこそ、世良は惹かれてならない。
 赤崎と椿は不承不承入り口から退く。
 堺のまっすぐな瞳に弱いのは、世良だけではない。
 控室から出てすぐ、堺とともに会見場に走った。
「ヤバいのか?」
「はい。さっきから、イヤな感じが強すぎて……まずいっス」
 それでもそっと会見場の扉を開く。
 ジーノがスライドを上映しながら、小笠原の生態系について流ちょうに説明を続けていた。
 自然保護そのものには興味はないが、美しいと自分が思うものが損なわれるのは許せない。自分のエコロジーや自然保護活動はすべてその延長線上にある。と言い切った人間だ。
「大体さあ。女の子が喜ぶものはたいがい綺麗で魅力的なものだよね。だから、それは守らなきゃ」と笑ってそれを実践しようとする。
 どちらかと言えば、保護よりも自然との共存共栄の道を模索するという方向性の指針は明確で、それゆえに支持が集まった。
 周囲や自らが言うほどに、この男の支持者は極端に女性に偏っているわけではないかもしれないと、ほんの二日ほどで世良は思い始めている。
「じゃあ、次に珊瑚礁の現状を見てみようか。ちょっと悲しい結果なんだけどね」
 流れるような口調にあわせて、スライドが切り替わっていく。
 世良は薄暗い場内に、目当ての小さく丸まった背中を探した。
(……いた!)
 いつもと同じ顔ぶれの連中だ。当たり前のように『指定席』がある。その男の丸まった背中は、昨日と同じあたりに見つけることができた。
 やはり様子がおかしい。
 足下においてあるとおぼしき、自分の荷物ばかりを気にしている。さっき、ロビーでもそうだったな、と世良は記憶をたどる。
「堺さん……」
 小声で合図を送る。
 と、視界の先で男がのっそりと立ち上がった。普段は目立たないタイプの男なのだろう。すっと、水の上を滑るようにして前に出る。あまりにもそれが自然で存在感の希薄な動きだったから、視界を遮られた数人ほどが不愉快そうな、あるいは不思議そうな表情をしているだけだ。
 だらりと下げた手には……拳銃があった。
 壇上で話すジーノのほんの数メートル先まで歩いてきて、緩慢に立ち止まる。
 そこまできてジーノはようやく男の存在に気づき、そいつが両手で構えてつきだしたものが自分の命を奪うことが可能な凶器であることを悟ったらしい。
 男のいる位置の反対側に立つ二人のSPはようやく男に気づいた段階だ。
 ジーノの顔は、どこか予想していた結末を見たような、そんな表情をしていた。
 世良は。
 迷わず目の前のテーブルの上に飛び乗ると、記者たちの頭の上を飛び越して、テーブルの上を前に向かって飛び移っていく。すり鉢型のホールの、階段状にテーブルが並んでいるそこを文字通り駆け降りた。
 最短距離なら断然こっちの方が早い。
 テロリストの拳銃を持つ手がぶるぶると震えているのがわかった。
 人を殺すのははじめてらしい。
 だが、殺害の意志は固い。
(間、に、あえっ!)
 男が引き金にかけた指に力がこもる、と思った瞬間には最前列のテーブルの板面を蹴ってジーノと男の間に飛び込んでいた。

 ぱんっ

 拳銃の音は案外乾いていて軽い。胸のわきあたりに強い衝撃があった。そのまま一瞬意識がブラックアウトする。
 気を失っていたのはほんの二秒というところか。
 初弾が失敗したと知った男は、二発めを撃とうとして、さらにジーノに詰め寄っている。
 さすがにそばで控えていたSPが、壇上からジーノの身柄を引っ張って床に伏せさせている。会場の後方の扉から、危急の事態を知った控えのSPたちが殺到してきた。だが、その応援はもう第二射には到底間に合わないと見て、とっさに同僚がジーノの体に覆い被さった。
「っ!」
 世良は、起きあがると、拳銃をつきつける男の手をねじりあげ床に落とす。そのまま、すぐには拾えない位置へと蹴りとばした。
「銃の確保をお願いします!」
 叫ぶと、堺が真っ先に走り込んでくる。
 世良はそれを確認もせずに掴んだ腕をひねりあげ、床に男を倒すと首元を片手で掴んで、制圧した。
 現場は騒然となった。
「赤崎! 椿! ジーノの身柄の安全の確保と安否確認!」
「っス!」「はいっ!」
 堺の指示がきびきびととんでいる。
(この場の責任者は堺さんじゃないのにな)
 他のチームの連中も、小気味よい堺の指示に従って大混乱の現場を整理しようと動いているのがわかった。
「世良ぁ、大丈夫かぁ? 生きてっか?」
 聞き覚えのある声が耳に届く。この混乱の中ではいかにも不似合いだ。顔をあげると、銀縁の眼鏡をかけて番記者っぽく気取っている馴染みの顔があった。
「ガミさん……来てたんスか」
 公安にいる知り合いが、相変わらずのひょうひょうとした様子で覗きこんでいる。口の割にはちっとも心配しているようには見えない。
「そりゃ、この前お前さんがテロリスト逮捕なんて公安の仕事奪うようなマネしてくれたからな。都知事の動向はしばらくマークしてるさ。まーたウチの仕事盗りやがって。そいつは渡せ。次からは相手を選んで逮捕されるように説教しとく……んで、なんでお前手錠かけないの?」
「それが……」
 苦笑した世良に、諸々の指示を出し終えた堺が駆けよってきた。
「世良……っ! 大丈夫だったか?」
「防弾チョッキ、着てるんで。なんか今日、朝からイヤな感じしたんで……でも、その代わり、手錠忘れちゃったんで貸してもらっていいっスか?」
 逮捕できないのには理由があった。石神はそれを聞いて「お前、前代未聞だわそりゃ」と苦笑する。
 堺がいぶかしげな視線を石神に投げながら、自分の腰に帯びていた手錠を世良に手渡す。ようやく両手に手錠をかけると世良はほっとして息をついた。
「あ……この人、所轄時代の俺の先輩でガミさん……石神さんって言います。公安の」
 堺の目がきらりと光った。相手を警戒する時の堺の表情だ。
「都知事の案件なら、達海さんとこだな。あの人は変わり者だから大変だろう?」
「さすがですね。ウチの達海の変人ぶりも御存じとは。ま、世良にはなるべく公安の仕事盗るなと、説教しといてください。こいつ、所轄時代には俺の言うことなんか一度も聞いた試しがないんで。堺さんの言うことならなんかちゃんと聞きそうだし」
 口元だけで笑ってみせると、堺の手錠がかかった男を引っ立てて連れて行く。
 二人してその背中を見送った。
「あの人……昔っからああいう感じなんス」
「達海さんとこの人間だろ? あの人に鍛えられてて、一筋縄でいくわけがない」
 横顔は少し苦い。どうしてだろうか、とその理由を考えようとして、堺が横顔のままで口を開いた。
「さっきの。また貸しにしとくからな」
 世良は苦笑する。
「これで、ホテル代とルームサービス二回分っスね。なんなら連泊しましょうか」
「……都知事暗殺を土壇場で未然に防いだんだ。ルームサービス分は俺が奢ってやる」
「カツ丼……」
「わかった。なんでも食え」
 世良は「やった」と笑った。
「あと……堺さん。すっごい気になってんスけど。この前仕込み杖に切られたのと今マカロフの弾に当たって穴開いたのと。スーツ代って経費で落ちますかね?」
「それは知らん。黒田に訊いてみろ」
 世良は警護課の庶務を担当している黒田の名前を聞いて憂鬱な気分になる。
「クロさん、俺に対する当たり、厳しいんスよね。堺さんには、従順なのに」
「まあ、経費はともかく今日はもう病院に行ってそのままあがれ。明日のことは追って指示する」
 平気だと固辞したものの、本来の現場責任者からも同じ通達がきて世良は渋々と混乱の現場を後にした。
 ついさきほどまで悩ましいほど感じていためまいが、霧が晴れたようにすっきりとしている。
(俺、これってヤバくないのかな?)
 以前からあっためまいや幻覚は、SPの任務についてから、明らかにより強くなってきている。
「そっち系充実してる病院、探してみっかな……」
 ふと思いついて携帯をチェックする。残念ながら、堺からの誘いのメールは来ていない。
「まあ……今日は長くなるだろうからな……」
 ため息をつきながら歩く道の向こうに、大きな街頭ビジョンが今日のニュースを映している。
 目を向ければ、ちょうど浅倉総理が、テロリスト対策について強い口調で語っているところだった。一昨年、緑川総理の任期満了に伴い、総理の椅子に座ったこの男は、何かと黒い噂が絶えない、タカ派の最たる人物だ。
「……」
 大写しになったその顔を見て、世良の心に黒い霧がゆっくりと降りてくる。

 思い出すのは遠い雨の日の情景だ。

 昼間の出来事だったはずなのに、なぜかひどく薄暗い印象がある。耳にうるさいほどの雨の音。生きている人間のものとは思えないつんざくような、悲鳴。絶望という響きの絶叫。
 そうして……幼かった自分のことを抱きしめながら冷たい躯と化した両親のことを満足げな笑みを浮かべて眺める、あの男。
 まだ夕方の明るい日差しの中、世良はゆっくりと大型ビジョンに向かって拳銃を構える姿勢をとった。
 本物の銃は、懐にある。
 手の中の幻の拳銃の引き金を、世良はほとんど迷うことなく引いていた。
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