雪の日 1

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「さっみー!」
「見事に誰も歩いてねえなあ。ま……当たり前か。こんな日はさっさと家に帰るよなあ」
「ウチまで歩くっスよ? なんか飲んだ酒全部ふっとびそうだけど」
「もう、とんだよ。もったいね。これならなんか買い込んでお前んちにさっさと行けばよかったな」
「……へへ」
 俺は堺さんに笑いかける。吐く息が白い。薄く笑い返してくれた堺さんの息も真っ白だ。
 一緒の色の息がうれしくて、だから俺はどんなに寒くても全然構わない。

 東京には珍しく、大雪の夜だ。
 年に一度か二度あるかどうかの事態に、街中が弱りきってる。
 打つ手なしで一方的に攻められっぱなしの去年までのウチのチームみたいだ。

 朝から空も気温もヤバかったけど、練習の頭、ランニングを始めたころにはもうかなり大きな雪の欠片が落ちてきていて、見る間に顔にびちびち当たるようになった。風も出てきて吹雪。猛烈な吹雪になったんだ。
 グラウンドも容赦なく真っ白になっていく。スタッフがあわてて芝生保護のシートを広げていった。もう練習どころじゃあ、ない。
 クラブハウスからチームのみんなで「ダメだな、こりゃ」と窓の外を見ていたら、やっぱり「今日は練習中止!」と監督が大きな声で言った。
 俺は五秒で堺さんを拉致る。
 こんな降ってわいたようなオフ、めったにあるもんじゃない。
 もしかして誰かに見られてたかもしれないけど、チーム内で堺さんは俺の師匠ってポジになってるっぽいから、多分平気。
 でもホントはもう「平気じゃなくてもいい」って、思いはじめてるくらいに、頭の中は煮えきっている。
 好きで好きでたまらない。
 堺さんに会うまでに俺だって恋愛のひとつやふたつしてきた。
 つきあっていた彼女のことはいつも全力で大事にしてきたつもりだし、かわいいと思ってた。俺のつきあうコは、小さくてふわふわしていて、なのにいつもよく笑っている元気なコばっかりだった。
 抱きしめたらちゃんと腕の中に収まるサイズ。

 なのに、堺さんは違う。

 つきあってきたカノジョたちとはどこもかしこも全然違う。
 俺より上背があって、俺より年齢上で、いつも無愛想で怒りっぽい。抱きしめても全然柔らかくないし、腕の中になんかちっとも収まっていてくれない。
 それでも、俺はこの人が史上最強にかわいいと思ってしまう。
 俺の頭のネジなんかいつでも2、3本吹っ飛ばすくらいにソーゼツにヤバいオーラを堺さんは持ってる。つーか、めちゃめちゃヤリたくなる。
 堺さん以外に俺をこういう状況にさせられる野郎はこの世に存在してないし、したこともない。この先も現れるわけがない。
 だからこの人は俺にとって特別なんだと思う。
 無愛想な分、笑った時の破壊力がハンパない。
 ずっと見ていたい。この人の全部を見ていたいと思う。
 こんな恋ははじめてで、多分相当俺は痛いことになってんだろう。
 時々「あ、今堺さんにひかれてる」ってわかる時がある。
 確かめるのは怖くて無理だけど、そういう時は正直へこむ。
 俺はこの人に嫌われたらどうしていいかわからない。
 俺の中にある一番やらかい部分と猛々しい部分の全部がこの人にだけ反応してる。今の俺はそういう風にできてるイキモンなんだって思う。

 堺さんが好きだ。

 拉致った堺さんを車の中に押し込めて、バックミラーを直すふりしてちらりと隣の堺さんを見たら、笑いながら髪をくしゃりとかきまわされた。
「……お前は自重って言葉知らないのか?」
「……すんません、無理矢理引っ張ってきちゃって。あの、なんか予定とか他にあった……とかって……」
 髪を撫でられるのは気持ちがいいけど、いつもよりも余計に「この人は俺より年齢上なんだ」って意識するから、微妙な気持ちになる。
 堺さんは俺の目を見て苦笑した。
「予定はあったよ。けど、雪のせいで潰れた。お前も同じだろ?」
「あ……練習……」
 顔が紅くなる。ついさっき監督から今日のオフを言われたばっかりだ。堺さんに今日これからの予定を入れる隙間があったわけがない。
 どうしてもこの人のことになると、いつも頭に血が昇りすぎている。
 恥ずかしくて情けない。そういうところばかりを見せている気がする。
 嫌われたりしないだろうか、いつだって不安だ。
 恋愛の最中はいつも無敵なのに、今の自分は本当にダメダメだ。
「お前っていつまで経ってもホントにアレなのな」
 堺さんにそう言われるとホントにへこむ。しゅんとなってうなだれたら「だから、さっき予定がキャンセルになったばっかだから、俺はこの後は今のとこヒマだっての。いちいち落ち込むな」とぼそりとした声が耳に飛び込んでくる。
「……っス!」
 へこむのも簡単だけど、あがるのだって俺は簡単だ。
「どこ行きますか? 俺、どこでもつきあいます!」
「そうか……じゃあ、リクエストするぞ?」
「っス!」

 でもってその日なにをしたかと言えば、一日二人でプールで泳いだ。
 もちろん、きゃっきゃ水遊びするようなプールじゃない。そんなわけない。
 チームと契約しているフィットネスクラブで、ついた途端にトレーナーが目をらんらんとさせながら俺たちに『今日のメニュー』を手に迫ってきた。
 最初が水中ウォーキング。それから泣くほど泳いで、サウナに行って、マッサージして、休憩してまたセットメニューを最初から繰り返す。
 水泳は柔らかい筋肉を作るのに最適なトレーニング方法だ。
 元々練習のある日だったんだから、堺さんに言わせてみればだらだら過ごすのは「ありえない」んだそうだ。わかるけど、なんか俺としては納得いかないとこはある。
 それでも二人でいるのは楽しかった。
 平日真昼間で大雪の日ともなれば、プールにはほとんど人がいない。ストレスフリーで泳げたし、泳ぐ堺さんはやっぱりかっこよくて、この人のかわいいところを知ってるのが俺だけ、っていう満足感は果てしなかった。
 気に入らないのは、あからさまにやらしい目つきで堺さんの乳首ばっかり見てるトレーナーくらいだ。
 そこは俺の。
 いや、そこだけじゃなくて堺さんの身体は全部俺のだって思った。

 一応、本人の許しは得ている。誰にもやらない。

 東京を襲った大雪は俺たちがプールから引き上げた頃にはしゃれにならない状態になっていた。
 東京に慣れ親しんだ俺たちは、車にスノータイヤをはかせることもチェーンの準備も怠っていた。もうとても、ノーマルタイヤで走れる状態じゃない。
 仕方がないから迂闊な俺たちは、車をフィットネスクラブに預けたままにして、タクシーを拾う。
 知らない間にあたりは暗くなっていて、雪の積もった街がぼんやりした明るさをもつんだってことを俺は久しぶりに思いだした。
「お前んちの近くに美味い店ってあったか?」と、堺さんに真顔で尋ねられ、俺はこの大雪を理由に今日はこの人を帰さなくてもいいんだってことを知った。
「和風居酒屋……かな。あそこなら多分個室使えるっスよ。長居しても平気っス」
「ああ、前に一回お前と行ったとこか。あそこは結構美味かったよな。じゃあ、そこにするか」
「っス!」
 浮き浮きするような会話だ。今の季節ならあの店はおでんが美味い。この前堺さんと行った時はまだ秋口だったからきっとあの美味さを堺さんは知らない。
 きっと、気にいってくれる。
 そう思うだけでやっぱり、すごく、うれしい。
「お客さん、今日はながっちりせずに早く帰った方がいいよ。もう、東武は停まったみたいだし、そろそろJRだって停まるよ。裏道なんか車通れなくなってんじゃないかな」
 タクシーの運転手は親切にそう言ってくれた。
 男の二人連れが飲み屋へ行くように指示したんもんだから、万が一にでも深酒してうっかり凍死でもしないかと心配したのかもしれない。
「大丈夫っスよ。ウチまですぐだし。いざとなったらこの人、ウチに泊めるし」
 言いながらちらりと堺さんを見る。窓の外になお降り続く雪を眺めている横顔は、きっと今晩俺のものになってくれると信じてる。
 チームの連中とはちあわせさえしなければきっと、大丈夫だ。
 クラブハウスからほど近いマンションは、クラブが上の方の階のフロアをまるまる借り上げてくれていて、若い選手のための寮になっている。朝昼晩の食事は、歩いて三分のクラブハウスの食堂に行かなきゃいけないから少し不便だけど、カノジョを連れ込もうと思えばふつうにできちゃうからだれも文句を言わない。
 俺的には彼女をつれこむことはもうないけど、代わりに堺さんを部屋に引っ張り込むところを同僚に見つかるかもしれないっていうリスクがでかい。
 幸い今までのところ、一度も誰かと出くわしたことはない。同じフロアには椿がいるし、宮野や亀井もいる。
 22歳までは住まわせてもらえる。だから俺は、来年には寮を出なくちゃいけない。
 その時、俺は何を考えてどんな家を選ぶんだろうか、と時々ぼんやり考える。まだ、来年もプロでメシを食っていくことはできそうだ。堺さんも、多分。この人は俺に何も言ってくれないけど、きっと、平気。
 堺さんと一緒にいるための最良の選択を俺はいつも考えているけれど、このままずっと同じチームにいられないだろうということも俺は知っている。
 どっちが先にETUを出ることになるのか、それがどういう形でなのか、それはわからないけれど。
 永遠を願うのに、こんなに不適切な職業はない。
 だけどそれが、俺たちが選んだ道だ。
 まだきっと来年の、少なくとも中断期までは一緒のチームでプレイができる。
 それはささやかで、切実な、俺の喜びだ。
 雪が順調に東京を閉じこめていってる夜、近所にある和風居酒屋は客の入りがびっくりするくらい少なかった。
 それでも顔なじみの大将は、俺たちがETUの選手だとみるとすっと店の奥を指してくれる。ささやかな個室は、生まれながらの大の巨人ファンで「サッカーのことはよくわからないんだけどさ」と言う大将の心遣いだ。
 俺がぺこりと頭を下げると、大将は「おう」と軽く手をあげてくれる。
 俺推薦のおでんはやっぱりすっげー美味くて、堺さんはものすごく気にってくれたみたいだった。泳ぎまくって疲労した身体が欲するままに、注文を重ねていく。
 結局、今日は大雪で客が少ないと見込んだ大将が用意していた分を二人でぺろりと食べ尽くした。
 おでんの大根について真剣に堺さんと語っている間に、表ではあらゆる電車が停まった。道を行き交う車も人も途絶えた。
 浅草は、元からそんなに夜が遅い街でもないけど今日は特別早いみたいだ。
 東京はいよいよ、大雪に困ったことになっている。だけど俺は大歓迎だ。堺さんを帰さず閉じこめておくのにこんなに自然な理由はなかなかない。
「あんたら、看板だよ。帰る途中で遭難なんかすんなよ。外は雪国だ」
 ホントはまだちょっと飲んでいたかったけど、大将にそう言われて店から追い出された。勘定を払って外に出たら、熱燗でいい気分になっていた身体から一瞬にしてアルコールがすっとぶ。
「寒っ!」「雪、積もるだけ積もったなあ。こりゃ明日もムリだな、練習」
 空からはもう雪がちらつくことはなくなっていたけど、世界は完全に凍り付いていた。
 店の前はタクシーを降りた時より遙かに深い雪が積もっている。人通りは全くない。
 きんとして、耳が痛い。
 着ている服は朝、練習に来るときに着ていたもののままで、若干二人とも自然の驚異の前に負けていた。
 自然になんとなくお互い近寄って雪を踏みしめながら歩く。
 会話は雪に吸い込まれていくみたいだった。
「もし俺が今、転んで足折ったとかっていったら、堺さんどうします?」
「最悪だな」
「っスよねえ」
「けど、やりそうだよな。お前は」
「いや、いくらなんでもそこは押さえる気ないっスよ」
 息が真っ白だ。いつもはそれなりににぎやかな道なのに、他の誰かどころか車さえ見えない。
 それで少しだけ大胆な行動に出ることにした。
「……っ」
 そっと堺さんの手を握る。
 氷みたいになってる手で、同じくらい冷たい手を握ったら、不思議に芯がほんわりとあったかい。
 いつもなら、速攻殴られるけど誰も見ていない真夜中の道ならば堺さんも怒らないでいてくれる。今日はなんていい雪だろう。
「冷てえんだよ、世良の手は」
「っス。でも、堺さんもっスよ」
「俺は……そうでもないだろ?」
「……っス」
 真夜中だ。雪の道は誰もいない。手をふりほどかない堺さんに安心して、俺は握った手に力をこめる。
 また少し、手が温かくなった。
 そうして、俺は自分のマンションのある方向に堺さんの手を握ったまままっすぐ歩いていく。
 もう帰れないし、帰すつもりもない。
 堺さんだってきっと同じことを思っている。ちゃんと手を握り返してくれている事実に勇気を出して、俺は無言で歩いていく。

 本音を言えば、俺はいつだってこの人が欲しい。



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