今年一番最後の日

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 その日はびっくりする程の大荒れの天気だった。
 大晦日から三が日までは実家に帰るという世良は、朝うんざりした様子で羽田に向かった。
 堺はけだるい身体をおして玄関先で切ない背中を見送る。 チームには30日から実家に帰るとしょうもないウソをついているらしい。実家に直接連絡がいくことなどほぼないだろうが「もしものことがあったらどういいわけするつもりだ?」と、前夜旅行鞄を抱えて現れた世良に苦笑したものだ。
 納会のビンゴで当てた『松坂牛のステーキ肉二枚で三万円相当』を持参していたから、夕べはちゃんと歓待してやった。
 堺が当てたのは、どぎつい色と香りの入浴剤のセットだった。試しにひとつ使ってみたらお湯が真紫になり、ベビーピンクの泡まみれになった。夕べの話だ。世良はもちろん大喜びだった。
 そのせいかは知らないが、風呂場の段階からいつになく盛り上がったのはおいておく。
 世良がいなくなった部屋の中、堺は「よし」と息をつくと、部屋の掃除をはじめる。
 部屋中のファブリックを集めて洗濯機に放り込んだ。
 外は氷雨が徐々に横殴りになってきている。この後もっと気温が下がるというから、その内吹雪くかもしれない。
 それでも風の様子を見て堺は窓を全開にして空気を入れ換えた。家事は一生懸命やるといい運動になる。
 世良が置いていった雑誌や、ゲーム類を片づける。
 ほんの数ヶ月で部屋の中にずいぶん世良の気配が増えていた。
 テーブルの上に放り出しておいた携帯が鳴る。堺は手を止めて、電話をとった。
 実家の母からだ。
「……時間? 今日の夕方……六時過ぎかな。ああ、今日はそっち泊まるけど、元旦には戻る。自主トレがますます必要な年齢なんだよ、わかるだろ? あと、なんか昨日ビンゴで入浴剤のセット当てたから。母さんと姉さんたちで分けろよ。有名なとこのらしいから。俺はいらねえよ。ああ、わかってる。運転にはちゃんと気をつけるから」
 母との会話を続けながら、掃除の手は止めない。
 堺の実家はここから車で一時間ほどの場所だ。毎年、大晦日に帰って元旦夜にはマンションに戻るのが恒例だった。
母は「連れ帰ってくるカノジョいないの?」と笑って探りをいれてくる。身内ならではの鬱陶しくもありがた迷惑な心配だと、堺は笑った。
「結婚は考えてないって。ここまできたらもう、するとしても引退してからじゃないか? もう、姉さんたちに子どもがいるんだから俺の子どもはいいだろ?」
 少なくとも、今の相手とは結婚だ子どもだというあたりは実現できるわけもない。
「ああ……じゃあ、切るよ。また後で」
 通話ボタンをオフにすると、妙なため息が出た。
 外はますますひどい天気だ。重く垂れ込めた雲から降る雨はもはや完全に雪になっている。
「世良、大丈夫か?」
 この分では飛行機の運航に大幅に影響が出そうな様相だ。 テレビのニュースをつけると、年末でにぎわうターミナルステーションや空港の大混雑が映し出されている。「ああ、大分ひどいなこれは……」
 この時点でかなりの便に影響が出ている。欠航もぽつぽつ出始めていて、羽田でうんざりした様子の客がインタビューに応えている様子が流れていた。荒天はどうやら全国的なもので、天気図を見る限り沖縄と北海道の一部をのぞいてどこもかしこも大荒れのようだ。
 うなだれながらここを出た世良が上手く実家に帰れることを祈りつつ、堺はちょうどアラームの鳴った洗濯機からファブリック類を乾燥機に移しに戻る。
 姉の子どもにやるお年玉の準備と、一泊の旅支度はその後だ。
 頭の中でToDoリストを更新して、少し休憩を入れるかと
堺はコーヒーを煎れた。
 つけっぱなしにしておいたテレビでは全国的な荒天を受けて、ずっとL字型のワイプで交通情報や各地の気象情報が流れている。だんだん被害が広がりだしているようだ。
「……」
 堺はテーブルの上から携帯を拾い上げると、メモリから世良の番号を呼び出した。
 テレビの画面には「本日の羽田離発着便は全便欠航が決定」という短い文章が出ている。世良は空港についたかどうかという時間だった。
 世良は三度目のコールで電話に出る。
「……ああ、世良か? 羽田全便欠航って出てるぞ? 大丈夫か?」
「堺さん、そうなんスよ。羽田ついたらほとんどの便が欠航になってて、カウンターで空港の人と話をしてる間に俺の乗る飛行機もなにもかも全部アウトになっちゃって……」
 声がげんなりとしている。後ろでは誰かが怒鳴り散らしてる声も聞こえる。年末の空港で全便欠航を知らされた乗客たちの憤りが伝わってくるようだった。
「今日はもう仕方ないんで、新幹線で帰ります。なんとか今からなら今日中につけると思うし」
「そうか。この分だと新幹線もすごそうだけどがんばれよ」「っス! 心配してくれてうれしいっス! 三日の夜には帰るんで。それまで待っててくださいね」
「……年にそう何度も帰れるわけじゃねえんだから、ゆっくりしてこいよ」
「実家だと俺、一番末っ子なんで肩身セマイんス。あんまり長くいてももてあそばれるだけっていうか。それに、早く堺さんに会いたいし。堺さんも、今日帰るんスよね? 車、気をつけてくださいね」
 騒がしい空港を歩きながら話す世良の姿が目に浮かぶ。
「こっちはまだそこまで吹雪いてないからな。昨日一応スタッドレス履かせたし安全運転で行くから平気だろ。でもまあ気をつける、ありがとな」
 じゃあ、と言って電話を切った。
 新幹線は間引きの徐行運転だが、なんとか動いているらしい。天気予報図はどこもかしこも絶望的な様子で、堺はちらりと世良の今日の難儀を思い浮かべたのだった。
(まあ、なんとか行けるだろ)
 現代の日本で、国内を移動するのに当日中にたどり着けないということもあまり考えられない。世良も子どもではないのだからなんとかなるだろう。
堺はテレビを消して立ち上がり、帰り支度に取りかかる。
 ふと、リビングの出口で消えたテレビに振り返る。
(大丈夫……だよな?)
 なんとなく不安感は拭えなかった。

 三時間後。
 家の中はほぼパーフェクトに整えた。
 世良からの電話はない。
(大丈夫か?)
 ニュースは各地の大荒れの大晦日を伝えていた。
「……」
 堺はテレビの画面に映った情報を確認すると、迷わず携帯で電話をかける。
「……世良か? 今、どこだ?」
 テレビには東京から出発する全ての新幹線が現在運休、最寄りの駅でストップしているというテロップが流れていた。東京駅では新幹線のホームに入りきれない人たちがコンコースにあふれ出ていて、子ども連れの女性が疲れはてた様子でインタビューに応えていた。
 世良は今度は2コールで電話に出た。新幹線にはグリーンをフンパツしたおかげでなんとか座席は確保できたものの、その後全く発車せず、動いたと思ったら停まるを繰り返して現在新横浜に停車中らしい。
「ここまでで小一時間かかってんスけどね。これはもう諦めるべきかなあってようやく決心しかかったとこっス。あと、東海道線で地道に行くとか」
「東海道線もそろそろヤバそうだぞ」
 目で拾った情報を伝えると世良が向こうでうなっている。「……寮に戻るのが一番っぽいっスね。申告なしだけど交通完全ストップだからわかってもらえ……」
「お前、昨日から実家に帰ってて、もう東京にいないって設定になってるんじゃないのか?」
「あ……」
 絶句する。寮住みの若手は年末年始の居残り予定を前もって申告するのが義務となっており、世良は昨日そこのソファで得意げに「今日から実家帰ってるってことにしました」と言っていたのを覚えている。
「あー……これで帰るの、大ヒンシュクっス、よねえ……」「だろうな」
「仕方ない。この辺でホテルとります……明日になればいくらなんでも動くっスよね……」
 堺はため息をついた。
「新幹線降りて駅ビルのカフェにでも入ってろ」
「え?」
「迎えに行ってやるよ。2時間くらいあればそっちつくだろ。今日はウチに泊まれ」

 電話向こうが一瞬沈黙する。それから、絶叫が聞こえた。
「だ、だめっス! 堺さん、だって今日帰省するんスよね?じゃあだめっス。親御さんに顔見せてあげてください」
「近いんだから、いつでも帰れる。気にしなくていい」
「でも! 今日大晦日で明日新年っスよ? 堺さんのご両親もきっと堺さんの顔見たいに決まってます」
(けど、お前がひとりになるだろうが)
 当たり前にそう思った。
「あっちは姉ちゃんとこの子どもの顔が見れたらそれで満足なんだからいいんだよ。いいから、店入ったら連絡しろ。携帯の充電平気か?」
「あ、この車両コンセントあるやつだったんで。今、知らない人の分も充電請け負ってるくらいっス」
 それを聞いて堺は苦笑する。
「お前らしいな。じゃあ、今から出るから。近くまで行ったら連絡する」
「堺さんっ!」
「あのなあ。俺んちで年越すのそんなにイヤか? 何にもないけど、一人でいるよりマシだろ?」
 あとはもう返事を聞かずに通話ボタンを切る。
 駐車場に向かいながら、母親に「今日は急用ができていけなくなった」と短い電話をした。
「ええ? おせち、あんたの分も用意したのに。あと肉。しゃぶしゃぶのお肉、良則抜きじゃこんなに食べれないわよ」「悪い。知り合いがこの悪天候で帰省できずに立ち往生してる。今日、そいつを家に泊めてやらないといけなくなった。明日の昼過ぎにはそっち行くから。おせちとしゃぶしゃぶはそん時食うよ」
 しゃべりながらもうエレベーターホールにたどりつく。
「あら、彼女? 構わないから連れてらっしゃいよ。良則が今おつきあいしてる人がどんなコか知りたいわ」
 思わず苦笑してしまう。
「……やめとくよ。彼女っていうか、チームメイトだよ。俺より大分若いからばかみたいに食うぞ? 肉足りなくなるから、きっと」
「あら、別にいいのに。未だにあんたが高校生くらいの時の感覚が抜けなくて毎年買い込みすぎちゃうのよ。それにしても……良則が後輩選手の面倒見がいいなんて、意外だわ」
 母親は気安く笑う。堺は「まあ、俺は怖い先輩選手だからな。そんなヤツの実家に招かれたらあいつ、多分緊張しすぎて血管切れるだろうな。だから……また今度な。エレベーター乗るから切るよ?」と用心深く言葉を選んで言った。
 母ははじけるように笑うと「じゃあ、明日待ってるわ。かわいがってる後輩くんによろしくね」と引き下がってくれた。
「良則がお兄ちゃん風吹かせる相手ができるとは、長生きするもんだわ」
 切る直前にしみじみとつぶやいた母の声はしっかり耳に届いて、堺を一段と苦笑させる。

 新横浜までは予想より30分は早く到着した。少し、飛ば
したかもしれない。
「堺さん、ホントすみません。けどマジ、助かりました!」 吹雪の中車のところまで走ってきた世良は、今朝別れた時と何一つ変わっていない。
「実家に帰るはずだったからホントに何も家にねえぞ。どこか途中で寄って買い出ししてくか」
「っス! 俺、金出します」
 新年まであと数時間だ。
 車の中は暖房で暖まっている。世良が隣にいる。
「あー、けど。堺さんと正月迎えられんのはうれしい」
 臆面もなく世良が言う。
「年越しちゅーとか、ひ、ひめ、ひめは……」
「俺の母親に今日帰れないって言ったらぶつぶつ文句言われたぞ」
 もじもじしながらとんでもないことを言いかけた世良に遠慮なく冷水を浴びせてやる。途端に世良は顔色を変えた。
「げ。やっぱそうっスよね。あの、羽田で買ったおみやげあるんでもしよかったらそれ……」
 堺は「いらねえよ」と言って笑い、アクセルを踏む。
「そのかわり、今度連れていくから、俺の代わりに謝れ」
「……は……!」
 隣の世良が絶句した。
 おかげで堺はなんだか気分がいい。
 隣に世良がいる。
 新年は、二人で迎えた。
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