LUCKY DRIVE

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「堺さん、俺、俺! 俺、送っていきます!」
 世良はロッカールームで両手をあげて立候補する。一瞬、その場にいた連中の視線が世良に集中した。
 アピールは大事だ。これで、万が一、世良の他に名乗り出ようとしていた人間がいたとしても遠慮するに違いない。たとえ、対抗馬が現れても譲るつもりはまるでないが。
 だが。
 堺は眉を曇らせると「お前の車、乗り心地悪そう」とイヤな顔をした。
 あっさり、かつ、ばっさりだ。
「ギャハハ。正解。堺、堺、しかもこいつの車ン中超汚ねーぞ。この前乗ってすげー後悔した」
 丹波が身体をさば折りにして大笑いする。他の連中はもう興味なさそうにさっさと着替え出したり、シャワールームに消えていったりしている。
 堺は丹波の証言に、あからさまに表情を険しくした。
「丹さん、後悔ってそれ、なんスかー? 乗せてけって言うから乗せたのに!」
「お前なあ。なんか原材料不明のお菓子のくずが点々としてるシートとか、後部に成立してたよくわかんない構成の荷物樹海とかなんとかしねーとあれじゃいろいろムリだぞ。いろいろ」
 丹波はげらげら笑いながら、世良の背中を遠慮なく叩く。叩きながら笑う。
「痛いっス! 丹さん、マジで。ホント、マジで痛いっス!」
 堺はますますイヤそうな顔をした。
「世良、車の中、掃除しろよ」
「わかりました! 今! 今掃除してきますから、俺が送ります。送らせてください。送りたいっスーっ!」
 朝、家を出る時、堺の車はエンジンがかからなかったそうだ。数分の格闘の上、どうやら大変残念な事態になったのだということを認めたらしい。今日はものすごく恐い顔をしながら練習にやってきた。聞けば、まだ納車から半年と経っていないそうだから無理もない。
 目ざとい達海に見咎められて、不運な堺が散々いじられていたのも痛々しい。
 世良は。
 世良は朝のあいさつの段階で堺の車の故障を知った瞬間から

 今日は堺さんを家まで送っていく!

と、野望に燃えたぎった。
(絶対、送ってく。俺が送ってく。絶対。絶対。絶対……!)
 おかげで練習では調子がよかった。監督はいつもの調子だったが、松崎コーチの絶賛の声が耳に心地よい。気分がいい。
 自分は割と気持ちで行くタイプだから、これだけ調子がいい時はきっと何もかもが上手くいく。明日の出発に備えて早上がりの今日、自分は首尾よく堺を自分の車の助手席に乗せてドライブするという夢を叶えられるに違いない。
(いやむしろ、絶対、いく!)
 世良はそう思った。
(明日は移動してそのまんま試合だから、家にはあげてもらえないだろうけど……ちゅーくらいだったらゲットできっかもだよな。ちゅー……前にさせてもらえたのいつだっけ)
 回想して、少し泣きそうになった。
 たぶん、自分は堺良則のカレシで間違いないはずだが実績がなかなか積みきれていない。
 お互い現役のアスリートだから、堺の身体にほとんど一方的に負担がかかる行為にはなかなか至れない。
 どころか、用心深い野生動物みたいな堺はなかなか世良に身体を触れさせようともしてくれない。触らせたら二秒でスイッチが入る世良を警戒しているのだ。知っている。まだ、そういう関係に至って間もないのにデートにいくことすらいやがるのだ。
(今って、一番ラブラブな時期じゃないんスか? 目が合う度にどきどきして、秘密のサイン出し合うみたいな!)
 残念なことに、世良が経験してきたどの恋愛のセオリーにも当てはまらない相手だった。
 時々、堺と一度ならず濃密な時間をもてたことそれ自体が、自分の都合のいい夢なんじゃないかと思うことすらある。
 世良としては前回の甘い記憶と次への期待の隙間でもがきながら生きている感じだ。時々自信がなくなるのは事実だが、あの堺がそれでも唇やほんの時々は肌まで許してくれる事実で生きていける。
 いや、まだ夢じゃないのかという疑いが捨て切れていないのが切ないところだが。
(大丈夫だ。俺、愛されてっし。堺さんに愛されてっし!)
 おまじないのように唱えると少しは落ち着く。
 すぐにかあっと頭の中が熱くなる。元から割とそういうヒートアップ体質だが、堺に惹かれるようになってからは一秒ごとにそんな感じだ。
「こら、お前声に出てるぞ」
 堺が呆れ顔で世良の頭をこつりとこづいた。丹波は「やれやれ。やだやだ」とやっぱりげらげら笑いながら、タオルを引っかけてシャワールームに歩きだしているところだった。
「堺さん……車、掃除しますから……」
 背の高い恋人を見上げて世良がそう言うと、堺はため息をつく。
「先にシャワー浴びて汗流せ。それで、俺はマッサージしてもらってくるから。その間にやっとけよ」
「……はいっ!」
 満面の笑みで元気よく答えると、堺が苦笑した。少し頬が赤いように見えるのはきっと世良の都合のよいビジョンのせいだろうとは思う。
 思うが、やっぱりうれしい。
「堺さん、シャワールーム行きましょう。シャワー。早く!」



「……わ、割と、がんばったんじゃね? 俺」
 丹波が言うところの『荷物樹海』の中からなんとかハンディクリーナーを発掘できたのはラッキーだった。古い雑誌とゴミを全部廃棄して、いつもらったのかも定かではない雑誌のノベルティーのバッグに服だのなんだのを突っ込んだら割と見られる車内になった。
 汗を拭う世良の首筋をなでる風が心地よい。
「いやあ。労働ってトートイなあ……」
「何が労働だよ。普段からちゃんとやっとけよな」
 充実感いっぱいの世良に背後から声がかかる。堺だった。
「堺さんっ! ケア終わったんスか?」
 たぶんしっぽがあったらちぎれんばかりに振っている。
 堺は苦笑して「ホントにお前の車汚いなあ」と毒づいた。
「え? でも一昨日洗車したばっかりっス。中はたった今……」
 世良は苦笑いだ。確かに、ところどころディープグリーンのボディに泥はねがある。中の掃除に手いっぱいで外側まで手を入れられなかったのはちょっと惜しかった。
 堺は「これでか?」と首を傾げた。それから、気がついたように頷く。
「あ、昨日雨降ったっけ。ついてねえな、お前」
 言いながら、なんだかうれしそうに笑う。クールな印象の強い人が屈託なく笑うのは反則技だ、と世良は思った。
「いえ、全然ツイてるっスよ」
 世良は堺に笑って見せた。
「俺、ここに来るのに車で来るの半々くらいなんス。今日車で来たら堺さん乗せるチャンスゲットした。すっげー、ツイてますよ」
 心なしか堺の頬が紅い。気のせいでもいい、と世良は思う。
(あーもーすげー幸せ。次の試合、俺、絶対ゴールゲットできる。絶対できる)
 なんだか隅々にまでパワーが注入されていくような気持ちになる。
(恋ってすげー)
 昔から彼女がいた時の方が試合の時はやたら燃えた、と世良は自己分析してみる。
(なら、今の俺って歴代最強の世良恭平じゃね?)
 多分それは、間違いのないところだ。
 堺は、世良の心など知るわけもなく、ぼそりと吐き捨てるように言う。
「……ばーか。俺は全然ツイてねーっつの。ほら、乗ってやるから。掃除したんだろ?」
「はいっ! したっス! 堺さん、乗って乗って!」
 助手席のドアを開けて堺を呼ぶ。
(ああ、これ。やってみたかったんだよなあ、俺……!)
 ぐっと幸せを噛みしめる。堺が「ホントにこれで掃除したのかよ」とぶつぶつ文句を言うのは聞き流す。そうは言いながらもちゃんと車の中に収まってくれている事実は、世良に勇気をくれる。
 ドアを閉め、堺の気が変わって出て行く前にさっさと駐車場を出てしまおうと世良は運転席の方に回った。
「……お前っぽい車だね。スポーツカータイプで2シーター。しかも、エンジン音うるせーの」
「丹さんに、意外性がなさすぎてつまんねーよ。って言われたっス。人が何乗ろうと勝手だっつのに」
 堺は笑って「確かにつまんねーな」と同僚の意見に同意を示す。
「堺さん、堺さんちの住所。ここ、入力してください。登録しますから」
 カーナビのスイッチを入れると、世良はいそいそと目的地の入力画面を呼び出した。
 堺は顔をしかめる。
「えー? ここからならそんなことしなくても、俺が誘導するからいらないだろ?」
「いります! いるんです! 俺のカーナビに堺さんちを登録したいんス!」
「いや、いいよ別に」
「だーめーでーすー! 俺のカーナビなのに、丹さんの家登録されてて堺さんの家が登録されてないなんてダメっスよ。そう思うでしょう?」
「思わないけど」
「思ってください! 頼みますから!」
 必死でとりすがる。このチャンスを逃したら次はいつ登録の機会に恵まれるかわからない。世良としてはここで食い下がらないわけにはいかない。
 堺は苦笑した。
「ホント、お前必死なのな」
「悪いっスか? 俺、もっと堺さんとの絆深めたいし思い出も作りたいし、一緒にいる時間とかいろいろ刻みたいんです」
「……仕方ないヤツだな」
 堺はため息をつくと、自宅の住所をカーナビの上に入力していく。
 一文字一文字が入力され、変換されていく度にどきどきした。
「すげー、うれしいっス……」
 堺はちらりと世良を見つめる。
「俺は……時々お前が恐いよ、世良」
 タッチパネルから指を離すと、堺はため息の様にそう言った。
「……」
 思わず隣の堺の横顔をじっと見つめる。
(今の……は、ちょっと……キた……かも……)
 胸が抉られた。
 堺の言葉は世良を簡単に浮上させもするが、反対にどん底まで突き落とすことだって簡単だ。
 世良は黙って『堺さん』とタイトルを入れるとそのまま堺が教えてくれた住所を自分の車に搭載したカーナビに登録する。
 それから、隣にいる堺を見た。
「恐いって、何がっスか? 本気すぎて退くってことっスか?」
「わからないよ」
 世良はふっと息をついてアクセルを踏む。
 車は駐車場から滑り出る。
 ナビゲーションシステムの機械音声が「目的地まで、あと9キロメートル。およそ、10分かかります」と告げる。
「送ってきます」
「ああ」
 微妙に気まずい空気が流れている。
 カーナビのアナウンスがいっそありがたいくらいだった。
「この先100メートル、右です」
 世良は少し先の交差点で、ハンドルを左に切った。
「……世良、今カーナビは右だって」
「いいんス、こっちで」
 少し走ると自動修正のかかったカーナビが「およそ200メートル先、右です」と別のルートを提案してくる。
 今度も世良はハンドルを左に切る。
「おい、世良……」
「いいんス。間違ってないっス」
 再びルート修正を行ったカーナビは何度でも堺の家に向かうルートを世良に教えた。
 世良は決してハンドルをその方向に向けようとはしない。
 はじめは諭していた堺も三度めからは黙ってシートに背を預けた。
「……ちゃんと今日中、まともな時間に帰せよ。でなきゃ、適当なところで停めろ。タクシー拾うから」
「わかってます。俺だって遠征行くんだし……でも、カーナビの言う通りに走ってたら、すぐに堺さんちに着くから」
「そのための機械だろうが」
「でも……なんか、もったいなくて」
 隣で堺が笑った気配がした。
「俺……重いっスか?」
「重いよ、そりゃ。けど、いいんじゃねえの? 世良はそういうんで」
「ホントっスか?」
 ハンドルを握る手に自然と力がこもる。堺の言葉の「重い」という部分にへこみ「世良はそれでいい」と言われて倍の高さに浮上する。
(俺は、あなたのこと好きでいて、いいんスね?)
 さすがに声に出せなくて、世良は「へへへ」と笑ってごまかす。
 堺は横目でそれをちらりと見ていたようだ。
「まあ、俺も重いって部分じゃあんまりお前と変わらないからな」
「……へ?」
「前! ちゃんと見てろ、ばか」
 思わず横を向きかけ、指摘されて慌てて前を向く。
「あと2時間で俺を家に送っていくと約束するなら、このまま少し走っても、いいぞ」
「ドライブっスね」
「……ああ」
 思いがけず素直に同意した堺に、世良はついほころぶ口元を意識する。
 本当に、堺が世良を有頂天にさせることなんか、キーパーと一対一のPKより全然簡単なことなのだ。
「ドライブデート?」
「……世良がそう言うんなら、そうなんじゃねえの?」
「へへ……へへへ……」
「笑いながら運転してんじゃねえよ。恐いだろ?」
「堺さん乗せてんのに、事故れるわけないじゃないスか。俺、今人生ナンバーワン安全運転っスよ」
 世良がそう言うと「期待してるよ」と堺が息をついた。
 もうさっきまでの落ち込みなんか世良は忘れた。
 どこに行こうかと考えあぐねた末に、世良は夢の島方面に車を走らせることにする。夢の島といえばETUが春先に極寒のキャンプを張ったところだ。あまりゲンのいい場所ではないが、キャンプを張った競技場と同じ敷地内に熱帯植物園があるのを世良は知っていた。
 平日の真昼間ともなれば、おそらくほとんど人がいないだろうと踏んだのだ。ましてや、チームの連中は絶対にそんなところには近づかない。
(まあ、ウチがあそこでキャンプ張ってる間は絶対来ないな)
 ならば、今の世良にとってはうってつけだと言えた。
 もっとも、本当のところを言えば堺を連れていくのに相応しいデートスポットでなおかつ2時間以内に家に帰すというシンデレラリミットをクリアできる場所がとっさに思いつかなかっただけだ。
 到着するまで、カーナビは何度となく世良の行く方向に堺の家はないと告げ続けた。
 熱帯植物園の駐車場に車を停めると、堺がおもむろに口を開く。
「……この車、いつ買ったんだ?」
「えーと。サテライトからあがってきた時だから、一年くらい前っスね」
「ふうん……」
 堺は車から降りる素振りを見せない。世良も強いて促したりはしなかった。
 二人きりでいられるのなら本当はどこだって構わない。むしろ、車の中なら距離が常に近い分うれしいとさえ思う。
「丹波……乗せたのか?」
「丹さん……スか? はい……」
 世良は思いも寄らなかった話を持ち出されて目をしばたかせた。
「カーナビにあいつの家、登録してるってことは何度も乗せたってこと、だよな」
「いいえ? 一度だけです。人がイヤがってるのに無理矢理登録して、削除の仕方よくわかんないんで放ってあるだけ……あ……」
 ゴールは決められたらそれでいい。夏木みたいに無理なところから派手に鮮やかにやるのでも、きれいに狙いすまして決めるのでも、どちらでもいい。
 欲しいのはゴールだ。
 形なんかどうでもいい、と世良は思っている。
「……ば、バックシート。バックシートのどこかに取説あるんで! 待っててください。すぐ消します。すぐ!」
「いいよ、別に」
「なんならリセットかけます。あ、だめだ。そしたら堺さんの住所のメモリも消える。だから、堺さん家以外全部消す」
「いいって、別に。そういうのはさ」
 堺はそう言ってフロントウィンドウを睨んだ。
「ただ……ちょっと……」
 そうつぶやく声すら世良には夢のような響きに聞こえた。
 息をのむ。
「ただ、ちょっと……なんとなく、気に入らないって思っただけだ」
「あ……」
 顔が熱い。どきどきして、心臓がうるさい。
 やっぱり今日はいい日だ。と世良は心の底から思った。
「やっぱ……消します。堺さん家の情報以外、別にいらねーし」
 言いながら、世良はシートベルトを外す。これでフリーだ。堺はまだじっとしていて身体を拘束された状態のままだということに気づいていないらしい。
「……そんで、もう丹さんも誰もこの車乗せないんで」
「いや、別にそこまで俺はこだわってないよ。ていうか、今の失言だ。忘れろ」
「イヤっス……」
 身体を乗り出して、助手席に覆い被さる。まだ真っ昼間だ。いくら人気がないからと言って、誰かに見られないとも限らない。
 それでも、世良は逃げられない堺を唇で捕まえた。
 触れて、びくりと震えたそこを幾度もノックする。かたくなな場所はやがて、世良の前にゆるりと開いた。
「……っ」
 そのまま深いキスになる。
 触れるとわかる。どれほど乾いていたのかと。甘い水はそこにしかない。
 世良はそのことを思い知る。
 堺はどうだろうか。
「試合前で、興奮してんのか?」
 腫れた唇で最初に言うのがそれか、と世良は苦笑する。吸いすぎた唇をなめてやると、誘うように舌が堺の咥内でゆらめいた。
「してますよ、そりゃ。でも、プロ選手が試合前で興奮してるって言うんだったら、俺はシーズン中ずっと発情期ってことじゃないスか。むしろ、堺さんの前だから、ってことで」
 めったにない、はっきりとした誘いにはのっておくべきだ。
 世良は少し調子に乗ることにした。
「言うね。お前、ちゃらくね?」
「安心してください。今んとこ、堺さん限定っスよ、こんなの」
 再びのキスになだれこみながら世良がそう言うと、堺は「どうだか」と薄く笑う。
 耳に小さく、シートベルトを外す音が聞こえた。世良はそろそろと背中にまわった腕にぞくりと震える。
(やっぱ、今日はツイてる……)
 明日は遠征だ。盛り上がったまま堺の家まで行っても、きっとぴしゃりと追い返される。わかっている。
(でも、まだもう少し……)
 試合前にアスリートが興奮するのなんて、当たり前だ。もちろんそれは世良だけに限ったことではない。
 背中にまわった腕に力がこもる。
(あと、少しだけ……)
 シンデレラリミットまでにはまだあと少しだけ、余裕があった。
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