【preview】好きになんかなりたくなかった人
「……堺さんっ!」
振り返ると、世良が転がるように飛び出してきたところだ。どうやら逃亡計画は失敗したらしい。堺はあからさまにため息をついてみせる。
少し、世良が傷ついたような目をしたのは見て見ぬふりをした。
「なんだよ。もう話終わってんだろ? アップの時にペースあげたのはなんとなく。意味なんてねーの」
「じゃなくって、堺さんっ!」
歩いていく堺の横に並ぶと、世良は慌てたように早口でしゃべり出す。
「じゃなくて、さっきドリさんに言われたこと。堺さん、俺のことウザいとかって思ってるんスか?」
「……まあな」
相変わらずストレートにくるやつだ、と堺は苦々しく思った。
相手が逃げる余地を残してやろうとは全く思わないらしい。ある程度含みを持たせて尋ねてくれなかったら、こちらもまっすぐ返すしか、答えの選択肢がなくなる。
言いにくいたった一つの答を返すことはプレッシャーだ。
(どうしてこう、お前は俺に圧力かけるかな)
たぶん、それでキレた。
「あのなあ、世良。俺になんかいろいろ訊いたって、あんま意味ねえぞ。俺の言うことが全部正しいわけじゃねえっての。第一、お前、つきまといすぎ。正直うぜえ」
一瞬、世良はひどく傷ついた顔をした。
「……っ」
舌打ちをすると、堺は世良を置き去りにしてシャワールームに向かう。
胸の奥がざらついているのは、相手が自分の言葉に傷ついた瞬間を目の当たりにしてしまったせいだ。
(なんで、俺が。こんな思いしなきゃならないんだよ?)
他人がどう思っているかは知らないが、人を傷つけて平気なほど、堺は図太くはできていない。
「……堺さん!」
また声が追ってくる。個室になっているシャワーブースの前で横を向くと、世良が思いがけず近くにいた。
「なんだよ。だから、俺に聞いたからって意味ね……」
「じゃなくて! ウザくしてすんませんした!」
言って世良は頭を下げる。
「俺、堺さんがウザいって思うとか、そういうこと考えてなくて……」
「ああ……そういう……」
どうやら世良は自分が失敗したと思ったらしい。慌てて先輩に対する非礼を詫びにきたというわけだ。
気がついたのならもう、こんな思いはしなくてもいいということだ。
きっとこれからは、つきまとわれることもなくなるだろう。
(わかったんだったら……それでいいだろう?)
堺は無意識に胸のあたりを押さえる。なんとなくすうすうとしている気がした。
「……」
「けど!」
堺は顔をあげる。世良が挑むような目でこちらを見ている。
「けど、俺。これからもきっとつきまとうって思います。だから、先にまとめて謝っておくんで。そんで、大目に見てください! でもって、諦めてください!」
「……お前って、よくわかんねえな。俺より話しかけやすいヤツはほかにいるだろ?」
堺はまじまじと『つきまとい宣言』をしてみせる世良をみた。まさかそう来られるとは予想もしていなかった。
世良の顔がみるみる内に真っ赤になる。
「じゃなくって! 俺は、堺さんのこと、知りたいっていうか……あれです。ソンケーしてるっス」
「そんなとってつけたみたいに、尊敬とかって言葉使う必要ねえっつの」
「違います! 俺、本当に……」
ぶるぶると唇が震えている。
緊張と、それから恐怖だろうか。この反応も全くの予想外だ。堺に切られることを恐れているというのだろうか。
あまりに過剰な反応に思えて、堺は少し驚いてしまう。
(なんだ? その反応……ってこいつにプレッシャーかけてんの、俺か。世良、いかにも体育会系部活でここまできました、って感じだしな)
チームのベテランに嫌われると都合が悪いのはわかるが、だからといってそこまで怯える意味がわからない。いくら仲が悪くてもピッチで露骨に表に出すほど、堺は自分が愚かではないと思っている。
(俺はプロだぞ? 一緒にピッチに立ったらちゃんとするに決まってんだろ?)
なのに世良は気の毒になる位がちがちだ。尊敬していると口に出す割に案外信用されていないらしいな、と思った。
堺が何か言ってやるまではきっとこのまま固まっているだろう。
結局、折れるのは堺だった。
「わかったよ……けど、俺はお前の先生でもなんでもないから、なんでもかんでも俺に訊こうとすんなよ。面倒だ」
「っス! あざっス!」
途端に世良が息を吹き返す。嬉しそうにはしゃぐ。
またしても意味不明だ。
よく考えてみれば世良とは九つも年齢が離れているのか、と思った。つまりこれがジェネレーションギャップというものか、と一瞬堺は深刻なことを考えた。
「よかったー。俺、堺さんにマジ嫌われたかと思った……」
堺は異次元の生き物を見る思いで世良を見る。
どこにでもいる普通の男だ。どうしてこれしきのことでこんなにも感情が上がったり下がったりできるのか理解不能だ。
(なーんで、いきなりそんな元気になるかねえ。目ぇ、きらきらさせちゃって……)
それでも、ようやく元気になった世良を見るとほっとする心がある。いつも必要以上に元気な人間にしょげられると調子が狂う。
と、近くの個室のドアが開いた。隣り合った個室のドアから出てきたのは杉江と黒田の二人だ。
「堺さん、お疲れっス」「お疲れっス」
堺の姿を見て、二人とも頭を下げる。それから世良の姿を見て捉えた。こちらは世良の方が黙礼である。
すぐ脇を通り過ぎながら黒田が面白そうに「よぉ、世良! 堺さんにまた怒られてんのかよ?」と声をかけてきた。
「違うっス! 俺、堺さんにいろいろ教わってるんス!」
「けっ! どうだかな! 堺さんにとってはうぜえだけなんじゃねえの? あんま、迷惑かけんじゃねえよ」
「クロ、FWのことに口はさむな」
杉江が申し訳なさそうに堺に視線を寄こしながら、黒田のTシャツの首根っこを掴んで引きずっていった。
(ああ、またこれで俺が世良にヤキを入れてるって噂が……)
先ほどの丹波の言葉を思い出して堺は若干重い気分になる。
見れば世良が不安いっぱいの表情でこちらを見ている。堺は肩をすくめた。
「あー、黒田の言うことはあんま鵜呑みにしなくていいから。けどな、世良。やっぱ多少はうざいのも事実だよ。否定しないぞ。だからとりあえずなんでもかんでもすぐに俺に訊いてくるのはやめろ。鬱陶しい。自分でとりあえず答を考えて、それでもあえて俺に訊きたいっていうのなら……仕方ない」
「っス! 俺、堺さんみたく頭いいプレイとかしたいっス!」
「あー、そりゃお前にはムリだ、ムリ」
首を横に振ると世良はまた一瞬にして表情を変える。その様子が何かに似ているなと思ったら、万華鏡だと気がついた。それからどうしてそんな詩的なものに例えるのかと、自分にぎょっとする。
「なんでっスか? 堺さん! なんで俺にはムリとかって言うんスか?」
世良はもう決死の様子で堺に食い下がってくる。これで堺はいつも調子を崩されてしまうのだ。
やっぱり黒田の言うことを全面的に肯定しておくべきだったと一瞬の後悔を覚える。
「ひどいっス! 堺さん、俺のことばかだって思ってるんスね?」
世良の訴えに、かちんときた。堺はふと口元を引き結ぶ。それから強く首を横に振った。
「……あんまり、人のことなめんなよ、世良?」
「……」
世良は気押されたようにぴたりと口を閉ざす。瞳はずっと堺に吸い寄せられたまま動かない。
「ばかだなんて思ってねえよ。お前は監督の戦術をちゃんと理解してピッチで動いてんだろ? 考えて咀嚼してるのとは違うかもしれないけど、わかって動いてる。そんなの、観てればわかるよ。それを『ばか』とは言わない。俺は、今まで一度も世良を『ばかだ』なんて言ったことねえだろ? 俺は、お前は根っからのFWかもしれないとは、思ってるんだ。まあ……そういう意味じゃお前は『ばか』かもな。FWは、みんな『ばか』って決まってるから。ゴールばかだ」
世良は黙って頭を深々と下げた。小さく「あざっス、堺さん」と呻くような声が耳に届く。
堺はそれにはもう何も応えずにシャワー個室に入って後ろ手に扉を閉める。
(またよけいなこと言った……)
胸の中には後悔とは違う何かが、やっぱりもやのように残っている。
シャワーのコックをひねると、適温に調整された湯が降り注いでくる。
薄い扉一枚向こうに、まだ世良はいて、頭を下げたままなのだろうかとそればかりが気になった。
どうも、厄介な気の病が進行しているようだ。ただし、病名はわからない。
知りたくもない、と堺は思った。
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